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天気のいい昼休みは、トラとハチと私の三人で裏庭の片隅でランチをすることが多く、今日も私たちはそれぞれのお昼ご飯を持って集まっていた。
「チコ、いくらお腹が空いてるからって、髪の毛まで食べるな」
トラは大きな眼鏡に太陽の光を反射させながら、メロンパンを食べている私の唇に張り付いた髪をすくう。
「あー、この髪鬱陶しんだよね」
私は顔にかかる髪を振り払うようにブンブンを頭を振ったが、余計に髪が顔にかかって鬱陶しくなった。
「朝は、ハーフアップにしてただろ?何で取ったんだよ」
「体育の授業で着替えたりしたからほどけちゃったんだよね。朝は頑張ってセットしたけど、もう面倒くさくて」
小学生から中学卒業までショートカットだった私は現在、「可愛い」を目指して髪を伸ばしている途中。ようやく肩まで伸びたのだが、まだ思うようにセットは出来ない。
「しょうがないな。括るもん貸せ」
トラが私の背後に立って、仰向けにした手を肩に置いた。私は右の手首にはめている、チャームが付いヘアゴムを差し出す。ヘアゴムを受け取ったトラは、何のためらいも無く髪に触れる。少々乱暴な言葉とは裏腹で、手つきは優しい。トラの冷たくて細い指が時々地肌に触れながら、顔にかかる髪をトップだけ掴むと、次は耳の後ろ、そして、うなじのを撫でるようにおくれ毛も一まとめにすると、あっという間に髪が結ばれた。
露わになった首筋に温かい風が当たって気持ちいい。
「こっちの方が、チコらしいだろ」
トラの表情は変わらないが、私にはご満悦なことが分かる。
「さすがトラ、器用だね。ありがと。どう?ハチ。可愛い?」
私とトラのやり取りを面白く無さそうな顔で見ているハチに、トラが結ってくれた髪を見せて聞く。
「トラの方が可愛いけど、朝の髪型より、今の方がチコに似合ってる」
「ありがと。トラ、お礼にメロンパンを一口あげる」
私は大きく齧った痕があるメロンパンをトラの口元に差し出した。トラは、一瞬横目で私を見てから、私よりも小さな齧り痕を付けた。
「いつもは要らないって言うのに、メロンパンは好きなんだ」
モグモグとリスみたいに頬を膨らませながら口を動かすトラに驚くと、私の手にあるメロンパンに、ハチもかぶり付いた。
「ちょっと、何でハチまで食べるのよ。私のお昼ご飯なんだからね」
「うるせぇ」
ハチは睨むように私を見たが、ぷいっと横を向いて拗ねた。
その姿を見て可愛い動物にエサをあげている気分になったから、残り少なくなったメロンパンを微笑みながら食した。
「あれ?藤井さん。ここで何してるの?」
ランチが終わって、他愛も無い雑談をしていると、美術部員の松井さんが声を掛けて来た。
「松井さん。この間は、お邪魔しました。絵は進みましたか?」
「まぁ、ぼちぼち」
「そうですか、完成が楽しみです。私、松井さんの絵、好きです」
「ありがとう。藤井さん、何だか今日は雰囲気が違うね」
「そうですか?何が違うんだろ?あっ、ちょっと見ないうちに可愛くなったってことかな?」
「髪型だろ。部活見学に行った時は下ろしてたから」
私の言葉が言い終わらないうちに、ハチが鋭く言葉を挟む。それに対して私は思わず睨んだが、松井さんは納得したように頷いた。
「そっか、髪型だ。いいね、似合ってるよ」
「ありがとうございます」
松井さんの褒め言葉で、すぐに機嫌を直して微笑む。
「八乙女君だったよね?」
「はい」
「絵、好きなら、いつでも描きにくればいいよ。この間のデッサン、楽しかっただろ」
「ええ。ありがとうございます」
他人に感情をあまり見せないハチが、嬉しそうにぺこりと頭を下げた。
「あ、雨」
和やかな空気がトラの言葉で一変する。ポツポツと大粒の雨が頭や肩に落ちて来て、私たちは急いで校舎の軒下に駆け込んで身を寄せ合って雨を凌ぐ。
「結構濡れたな」
松井さんが雨に濡れた眼鏡を取って、シャツの袖で拭う。でも、そんなんじゃ眼鏡についた水滴は広がるだけだ。
「これ、使ってください」
私は薄い水色のハンカチを差し出した。
「ありがとう」
笑顔でお礼を言う松井さんの素顔は、シャープな輪郭で奥二重の目とすっきりと鼻筋が通った清潔感溢れるいい男だった。
キターー!
眼鏡取ったらイケメンとか、最高!しかも、絵が上手いというオプション付き。これは、次の恋のお相手に決まりでしょ!
「人にハンカチ貸してる場合かよ。チコも濡れてるぞ」
私と背が変わらないトラが、松井さんの横顔に興奮している私の視界を邪魔するように、わざとらしいくらいガシガシとハンカチで頭を拭く
「ちょっと、もっと優しく出来ないの?あぁ、ほら。せっかく結んでくれたのに、髪がほどけちゃったじゃない」
文句を言いながらトラの手からハンカチを奪い取ると、今度はトラの柔らかい髪をお返しと言わんばかりに拭いてやる。
「髪より眼鏡を拭いてくれ。水滴が邪魔で視界が悪い」
「眼鏡は俺が」
ハチがトラの頭を拭いている私の手を払いのけ、小さくて白い顔にかかっている大きな眼鏡を取り、黒いバンダナで拭いた。
「やだ、ハチ。水も滴るいい男になってるよ」
普通にしててもイケメンなのに、雨に濡れたハチは更に艶を放ついい男になっていて、思わず見とれる。なのに、トラは私の手からハンカチを奪うと、ハチの顔を隠すように、ゴシゴシと雨を拭った。
「仲いいんだね、君たち」
松井さんが私にハンカチを返しながら、眼鏡をかけた顔で微笑んだ。
私は微笑み返しながら、眼鏡をはずした素顔を思い出し、ハンカチを受けとる。
「ええ、私の友人Aと友人Bです」
「何それ、漫画の登場人物みたいだね」
「その通り。私が主役の物語に松井さんも登場してくださいね」
「通行人①くらいなら、喜んで。じゃあ、僕からもお願いしたいことが」
「何ですか?」
「藤井さん。絵のモデルになってくれないか?」
「え?モデル?」
「そう。ダメかな?」
「いえ。喜んで」
こ展開、めくるめく恋の予感しか無いんですけど!
こみ上げる期待に、ニヤけそうになる顔を満面の笑顔で誤魔化した。
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