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先生のその言葉と身体に感じる温もりが、オレの震えを止める。
「それでも自分は大丈夫だと思ってたんですよ。安田先生の言う通り、健康であることの安心感を君にあげたかった。けれど異常が見つかりました。それでも先程言った通りそれは本当に早期の段階で、ここで見つかるのは奇跡だと言われました。それでもがんはがん。いくら治る確率が高いと言っても、死の影はやはり感じたんです」
その言葉にオレは先生を見る。きっと先生はオレ以上に怖かったに違いない。
「正直恐怖でした。死の確率は決してゼロではないんですから。恐怖で身体が竦み、何度も絶望に襲われそうになったんです。けれどその度に君の笑顔が頭に浮かびました。そしてそれと同時に泣き顔も」
その時のことを思い出したのか、話しながら僅かに眉根を寄せる。
「このままもし死ぬことになったら、僕はまた君を泣かせてしまう。そんなことはしたくない。僕は、君にはいつも笑っていて欲しかっんです。毎日見せてくれるあの笑顔を、もう二度と消したくは無い」
そして先生がオレに微笑む。
「僕は君を笑顔にしたい。そしてそれをそばで見ていたい。一年先も二年先も、そして十年二十年先も。ずっとずっと君のそばで、君の笑顔を見ていたい」
オレの目を真っ直ぐ見つめてそう言う先生に、オレは思わず言ってしまった。
「プロポーズみたい・・・」
言ってしまってから、はっとした。
何言ってるんだ、こんな時に。
そう思ったけれど、先生はさらに目を細めて笑う。
「そうです。プロポーズです。病気が見つかって不安定になる僕の精神を支えてくれたのは、僕が思い描く君との未来だったんです。僕が君を笑顔にし、この先ずっとその笑顔を守りける。だからこんなところで死ぬわけにはいかない。僕は病気を治し、君の卒業式の日にプロポーズをする。そしてこれからの人生を君と共に過ごすのだと、そればかりを考えて過ごしてきたんです」
その言葉にオレは驚く。
プロポーズって・・・そんな・・・だって、ついさっきお付き合いを申し込まれたのに・・・。
「もしも君の気持ちが変わってしまったら、勿論言うつもりはありませんでした。けれど君はずっと、変わらず僕を思い続けてくれました。だから僕は、言うことにしたんです」
そこで一度言葉を切ると、先生は立ち上がって再び僕の前に跪く。
「僕と付き合ってください。そして四年後僕が無事に完治したなら、その時は僕と結婚してください」
オレに視線を合わせ真剣にそう言う先生に、オレの目からはまた涙が溢れる。だけどオレは首を横に振った。
「いやです」
その言葉に先生の目が僅かに見開かれる。そして何かを言おうと唇を動かすも、オレはその前に言葉を続けた。
「四年後なんて嫌です。オレはたとえ先生がまた病気になったとしても、別れる気はありません。先生のそばで、先生と一緒に病気と戦いたいです。先生を一人になんてしません。ずっと先生のそばにいます。だから四年後なんて無意味です」
一人になんて、させない。
「だから余計な言葉はいりません」
何があってもずっと一緒にいるんだから、『四年後』なんて余計な言葉は必要ない。
「もう一度、言ってください。ちゃんと、オレが欲しい言葉を・・・」
ぐっと目に力を入れても止まらない涙をそのままに、せめて言葉にはつまらないようにと少し早口に言う。すると先生は一度視線を下に向け三秒。そしてもう一度オレの目を見る。
「川嶋くん。僕と結婚してください」
ちゃんと的確に欲しい言葉を言ってくれた先生に、オレは目を細めて笑う。
「はい」
そして抱きつくオレを、先生は優しく受け止めたくれた。この瞬間、未来はオレの知らないものへと変わった。
来ないはずの先生が来てくれて、プロポーズをしてくれた。そして一人部屋にこもっていたはずの春休みは、互いの両親への挨拶や結婚の準備であっという間に過ぎていき、新たに始まった大学生活も、オレを影から見守る存在はなかった。そして卒業後まで住んでいたはずの実家を春休みの間に出て、オレは先生と結婚生活を始めていた。もちろん、カフェでのバイトもせず、誰にも話しかけられることもない。
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