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覚えている。
あれはまだ、彼と知り合った頃だ。確か難しい資格試験を受けるけど、仕事と勉強の両立が難しくて、気持ちが萎えそうになった時に見るからと頼まれたんだ。
『大丈夫。
できるよ。
だからもう少し頑張ろう』
疲れて集中力が切れた時に見るからと、彼が言うまま言葉をかけた。
『ありがとう。これで頑張れるよ』
動画を撮った彼はそう言うと、大切そうにその動画を保存していた。
『資格試験は嘘なんだ。あいつに渡してあげたくて。でもあの動画で何度もあいつは持ち堪えたんだ』
持ち堪えた。
その言葉に一瞬はっとするけど、彼は最初に言っていた。『あいつは死んだんだ』と。
『先生は・・・いつ・・・?』
視界が霞む。
きっと先生はもう・・・。
『その年の夏の前・・・もう少しで梅雨が明けるという7月だったよ』
そんなに早く・・・。
オレの目から涙がこぼれた。
『でも頑張ったんだ、あいつ。倒れた時には持ってひと月だって・・・。それを四ヶ月も頑張った。君のおかげだよ』
知らなかった、先生のこと。
オレをからかったのだと思った。
迷惑をかけたから、仕返しされたのかもしれないとさえ思った。
だけど、そんなことが起こっていたなんて。そんな壮絶なことが・・・。
あまりのショックに、そのときのことはあまり覚えていない。だけど、彼は先生を見送ったあともオレに会いに来てくれたのは、本当にオレを好きになったからだと言っていた。でもオレはなんにも考えられなくて、冷静になんてなれなくて、時間が欲しいと頼んだのを覚えている。
それからしばらく放心状態で、ちゃんと考えられるようになるとそれが本当なのかが分からなくなった。
彼の告白がまるで、夢の中の出来事のようだった。でも本当で、それでもすぐには信じられなくて、だからオレはそれが本当だという証拠が欲しいとお願いした。そうしたら彼は、先生の実家に連れていってくれた。
事前に彼が連絡を入れてくれていたのだろう。先生のお母さんが出迎えてくれたのだけど、お母さんはオレの顔を見るなり涙ぐみ、オレにお礼を言った。彼が送ったオレの写真や動画、そしてオレの存在そのものが先生の励みになっていたのだと教えてくれた。そしてそんなオレが来たことを、きっと先生も喜んでいると言う。
本当かどうかを確かめたくて来たけれど、来るそうそうそんな風に出迎えられてしまったら、もう信じるしかなくて、先生の仏壇にお線香をあげる頃にはもう納得せざるを得なかった。
本当に先生は・・・。
その後お母さんは、先生のスマホを見せてくれた。そこには彼が送ったオレの写真や動画があり、先生は毎日それを眺めていたという。そして最後に、先生が言っていた言葉を教えてくれた。
『きっと約束を破った僕を怒ってると思う。だけどそれで良かった。もし倒れるのがもう少し遅くて会えていたら、きっと僕は思いを告白していたと思う。なのに僕がもうすぐ死ぬと分かってしまったら、その時は想像もつかないくらいあの子を悲しませてしまっただろう。それは約束を破られたことよりもずっとあの子を苦しませてしまう。だから、行けなくて良かった』
そして・・・。
『大切な約束に来なかったくずな教師のことなんて早く忘れて、幸せになって欲しい』
どんな思いでそう言ったのか。
オレの胸は潰れるほど痛かった。
先生を初めて見た時から好きだった。
だけど先生だから、言ったらきっと困らせてしまう。だから言わなかった。言わなかったけど、精一杯気持ちを表していた。
一生懸命恋をした。
真剣に、大切に。
オレの全てをかけて、先生に恋をした。
だから思いは伝わってると思ってた。
たとえ口に出さなくてもオレの気持ちを分かり、少なからず好意を持ってもらえてると思ってた。だから毎日会いに行っても一度も拒絶せずに受け入れてくれたのだと思ってた。
だからショックだった。
そんな先生に裏切られて・・・。
その先生の仕打ちはオレの心を深く傷つけ、他人を信じられなくなった。
また裏切られるかもしれないという恐怖は、恋どころか、友人すら作ることが出来なかったのだ。
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