たまにはこんなファンタジーも

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そんなことを考えてみるも結局は何も分からず、オレはただどうすることも出来ずに毎日を送っていた。 そんな中で行われた運動会。 6年生は毎年ソーラン節を踊る。その振り付けは毎年先生によって細かいところのアレンジが違うのだけど、今年の振り付けはオレが覚えていたものと全く同じだった。しかもクラス別カラー、青、赤、黄、白の4色で競われるこの学校の運動会での今年の勝敗も、オレの覚えている通りになった。 6年の時の運動会はすごくよく覚えている。 オレのクラスカラーは黄色で、小学校最後のこの運動会を優勝で終わりたいと頑張っていたけれど、チーム分けは縦割りのため6年生が頑張っても結果は他の学年次第。最後のカラー別対抗リレーを前に、黄色は青の次点で2位だった。そしてリレーにおいてもずっと青を抜かせなくてこのまま2位で終わろうとしていたその時、青のアンカーの子がゴール目前で転倒して黄色が1位となり、その結果、総合でも黄色が優勝となった。 今回もオレの記憶と全く同じ結末に、オレはこれがやはり時間の逆行なのではないかと思った。そして本当にそうならば・・・。 どこかに先生もいるのではないだろうか。 やはり考えてしまう、先生のこと。 先生となにかあったわけじゃない。それを言ったら、どちらかと言えば辛い記憶だ。だけど、知ってしまった先生の最期は、ずっとオレの心から消えなかった。 最初から優しくて、ずっとオレのそばにいてくれた彼よりも、オレの心は先生に会いたいと思ってしまう。 なんて薄情なんだろう。 そう思っても、先生に会いたい気持ちを抑えられない。 この時代なら、まだ先生は生きている。 会いたい。 もう一度、先生に。 彼だってどこかにいるはずなのに、オレの心は先生を求める。 そう思ってしまうことに、オレはすごく罪悪感を覚える。だけど、会いたい。 会ったところで何かをするわけじゃない。この時代の先生は当然オレを知らないし、オレだってまだ子供だ。何かを始められるわけじゃない。だけど会いたい。ただそれだけだ。会ってこの目で、生きている先生を見たい。 そう思っても、オレはすぐには会いには行けなかった。なぜなら、先生の居場所を知らないからだ。 10歳年上の先生はいま22歳で、順調に進んでいれば大学4年生のはずだ。そして先生は大学から一人暮らしをしたと言っていたので、もう実家にはいないはず。 先生の実家は彼に一度連れて行ってもらったけど、先生の家はどの辺りにあるのかすら分からない。大学は彼も一緒だから知ってるけど、もう4年だし、あんまり行ってないと思う。それにこんな時期にオレが会いに行って、もし先生の未来が変わってしまったら大変だ・・・と思ってあることに気がついた。 先生の未来を、変えることが出来る・・・? タイムスリップの話をよく見る。 映画にしろ漫画にしろ、どんな話も悲しい現実を変えるために過去に戻り、その悲劇が起こらないように主人公が奮闘する話だ。 もちろん意図しない逆行に、未来を変えないために頑張る話もあるけれど、大体は未来を変える話が多いと思う。 オレも、変えていいのだろうか。 所詮ファンタジーだからと深く考えずに楽しんで見ていたけれど、実際未来を変えたらどうなるのだろう。どの物語も、悲劇を回避してめでたしめでたしで終わるけど、本当に変えてまったらなんの弊害もないなんてありえない。バタフライ効果という言葉がある。ほんの些細な違いが、想像もつかない程の大きな影響を与えてしまうかもしれない。 だけどそれって、もう遅いのかも。 だって既にオレがここにいるってだけで、多分変わってしまっていることがあると思うから。 いくら記憶が安定している年頃だとしても、1から10まで全てをこと細かく覚えているわけじゃない。きっと前とは違うことをしていることも多いと思うんだ。現に知らずにテストで満点を取ってしまったことがあるけど、一度目のオレはもちろん満点を取ってない。いまだって意図的に点数を抑えてるけど、前は大体こんな感じだったかな?くらいの記憶でやってるから、全く同じな訳では無い。それはテストに限らず、オレは全てがそんな感じで毎日を過ごしている。
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