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それからはもう、私は生島先輩のファンと化していた。
その姿を見つけては「かっこいい!」と騒ぎ、興奮して和子の肩をバシバシ叩き、「痛いんだけど」と顔をしかめられる毎日だった。
遠巻きに眺めることはあっても、実際に接触したことはなかったはずだ。
なのに。
なにがどうして、付き合ってるなんてことになっているんだ。
「本当に何も覚えてないの?」
和子の言葉に、私は頷いた。冷たい冬の隙間風が吹いて、二人して首を縮める。
始業式が終わった私たちは、食堂で緊急会議を開いていた。今日は式と大掃除だけで帰れるはずだったので、お弁当は持ってきていない。購買で買ったツナマヨおにぎりを掌で転がしながら、私は和子をちらりと見た。私のツナマヨも和子のジャムパンも、まだ手をつけられてはいない。
「ていうかさあ、その台詞が、もう、あれじゃん」
「……あれって、なにさ」
「うー」
呻きながら、机に伸びる。机もキンと冷え上がっていたので、すぐさま元の姿勢に戻った。
「私のことは分かるんだよね?」
和子は自分を指差しながら尋ねてくる。
「仁村和子17才。私の友達で、一年の時から仲良くて……え、友達だよね?」
「友達だわ馬鹿野郎」
ツッコミのキレも記憶に相違ない。目の前の和子は、私の認識と何も変わらない。
和子だけじゃない。両親も、クラスメイトも、自分のことだって、何も取りこぼしていないと信じて疑っていなかったのだ。
生島先輩の話を聞くまでは。
事故のショックで、生島先輩の記憶だけが頭から抜けてしまっているということなのだろうか。いや、でも、先輩のファンになったきっかけも、その後生島先輩を見て騒いでいたことも覚えている。
その生島先輩が彼氏になった、とか、そこだけが冗談みたいで信じられない。
何が何だか分からなくなった私は、助けを求めるように和子を見た。和子の顔に答えが書いてあるかのように、じっくりと。眉上でカットされた前髪も、黒髪のボブも、太い黒縁眼鏡もそのまんまだ。
「そういえば和子、その眼鏡いつまで使うつもりなの? 一年の時から変わってなくない?」
「は?」
「え?」
ごくごく何気なく言葉を発したのに、それに対する和子の言葉は明らかに怒気を含んでいた。
え、私なんかした? と焦る私に、和子は信じられないと視線を尖らせる。
「お前が尻で踏んで割ったんでしょうが」
「えっ!?」
「私が椅子に眼鏡を落とした直後に充がその上に座っちゃって。だから替えの眼鏡ができるまで、充には私の目となり手となり足となってもらっていたんだけど」
和子はじっと私を見る。
「……覚えてない?」
「覚えてない、ね」
二人の間に沈黙が降りた。
窓の外では、轟々と北風が唸りを上げている。その音を聞きながら、私は「あれ?」と思った。
そういえば、いつから冬だっけ?
和子は長い溜め息をついた後、具体的な質問をいくつか私にした。授業でこんなことがあったとか、クラスメイトの誰がアホなことをしていたかとか。そうして二人で、答え合わせをしていく。次第に、私の「覚えてない」という声が増えていく。段々と、二人の間に沈黙が降りていった。
「……これは」
先に答えを口にしたのは、和子だった。
「記憶喪失ってやつだね」
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