さよならピアニスト

7/7
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 両手で小さく円を描くようにして、音を切る。  私は全身にびっしょりと汗をかいていた。身体の奥から高揚感が湧き上がってくる。   「すげぇ! 何て言ったらいいかわかんねぇけど、のまれるかと思った!」  春くんは頬を紅潮させて感激した様子だったけど、私を見てぎょっと目を見開いた。 「手、大丈夫か!?」  私は自分の両手を見た。尋常じゃないほど震えている。 「それ大丈夫なのか!? 指揮棒は最後まで気合いで持っとけよ!」 「心配するところそこなんだ」  あきれながらも、内心ほっとした。気を使われるのは嫌だったから。 「大丈夫だよ。これはその、楽しかったから、興奮しちゃって!」  そう素直な感想を伝えると、春くんは目を丸くして、嬉しそうに笑った。 「わかる。さっきのヤバかったな! すげぇ楽しかった! このままうちの指揮者やってみないか?」 「え、私が?」 「ピアノの代わりだなんて言うつもりはないけどさ、東雲の指揮で吹いてみたいって思ったよ」 「でも……」 「今すぐ決める必要はねぇよ」  私の迷いを察したのか、春くんは優しくそう言ってくれた。 「か、考えてみる」 「うん」  音楽室を出た私は、途中で春くんと別れて、ひとり廊下を歩いていた。  まだ興奮しているのか、足元がふわふわ浮いているような感覚がする。  私の手で、音楽を奏でることができる。その可能性に胸が躍った。 「ピアス、今日はつけてないんだな」  翌朝、校門前で会った春くんにそう指摘されて、私は寂しくなった耳たぶに触れた。 「うん。つけるのは、もうすこし先でいいかなって」 「そっか」 「ねえ、春くん。私、吹奏楽部に入るよ」  春くんは驚くことなく、にっと笑った。 「決めたんだな」 「うん! やっぱり音楽を辞めたくないから」 「ピアノばっかりやってたやつには、厳しい世界かもしれないけどな」 「うん、わかってる」  指揮棒はまだ用意できていないけど、鞄の中には指揮者について調べたノートと、課題曲の楽譜が入っている。徹夜したけど、まだまだ勉強し足りない。 「東雲が吹奏楽部入るならさ、今度こそふたりで頂点目指そうぜ」 「頂点って……」 「いや、やっぱ今のなし、忘れて」  春くんは照れくさそうに頬をかいて言った。  私は春くんの正面に回りこんで、胸を張って答えた。 「ふたりで頂点を目指そう。今度は、向かい合って!」
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!