さよならピアニスト

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 放課後、吹奏楽部に向かう桜ちゃんと別れて、帰宅部の私はひとりで校舎を出た。  桜ちゃんは別れ際、「吹奏楽部を見においでよ」と誘ってくれたけど、どうにも気が進まない。 「どうしよう、断るのも悪いしなぁ……」  頭を悩ませながら歩いていると、風に乗って美しい音色が聞こえてきた。  穏やかで、哀愁を帯びた音色だ。 「オーボエ? 外で吹いて大丈夫なのかな」  じっと耳を澄ましてみる。  どうやら、オーボエの奏者は中庭で演奏しているらしい。 「ダッタン人の踊り、か」  ちょっと興味が湧いてきた。私はそわそわと周囲を見回しながら中庭に向かった。  中庭には、ほとんど花が落ちたソメイヨシノとモミの木が等間隔に植えられていて、木の近くに木製のテーブルとベンチがいくつか設置されている。  一番奥にあるテーブルの近くで、ひとりの男子生徒がオーボエの練習をしているのが見えた。  端正な顔立ちの長身の少年だ。目つきが鋭くて、雰囲気がちょっと怖い。 「でも、すごく柔らかい音……」  失礼だけど、外見の鋭さを裏切るような優しい音色だった。  真剣な横顔をじっと眺めていると、ふとあることに気がついた。 「もしかして、春くん?」  小声でつぶやいたのに、その少年は演奏を止めて、じろっとこちらをにらんだ。  私はぎょっとして息をのんだ。 「俺のこと呼んだ?」  少年は不機嫌そうな顔をしながら近づいてくる。  正面から見た少年の顔には、幼い頃の面影がある。雰囲気が違うから別人かと思ったけど、間違いない。 「やっぱり、春くんだ!」  吉野春歌(よしのはるか)。私と同い年の男の子で、小学生の頃、同じピアノ教室に通っていた幼馴染だ。  「一緒にピアノで頂点をとろう!」と約束していたけど、中学に上がる前に春くん一家は引っ越してしまったので、それ以来一度も会っていない。 「ピアノ、辞めてたんだ……」  その手に持っているオーボエを見て、私は「すごいな」と皮肉っぽくつぶやいてしまった。  ただでさえ他の楽器よりも高価なのに、かなり良いモデルを使用している。  その価値に見合うだけの腕もある。彼は本気なのだろう。 「おい、あんた。俺がピアノやってたって、誰から聞いた」 「誰からって……」  向こうは私に気づいていないらしい。私は困ったように視線を泳がせた。  春くんは、「もしかして」と疑わしげに私を見た。 「俺のストーカー?」 「違いますけど!?」 「あっそ」  全力で否定すると、春くんはうるさそうに顔をしかめて、東の方向を指差した。 「んじゃ、出口はあっち」 「はい?」 「俺、あんたに構ってる暇ねぇの。悪いけど彼女も募集してないから、バイバイ」  と、興味を失ったように手を振って、春くんは私に背を向けた。  ストーカー扱いされた上に、勝手に振られたことになっている。私は腹が立って、怒声を爆発させた。 「裏切り者!」 「は?」  春くんが不審そうな声を上げながら振り返った。 「引っ越ししてもピアノはつづけるって言ったのに! 一緒に頂点とるって、馬鹿みたいな約束覚えてたの、私だけだったんだ!」 「お、おい」 「うるさい! 誰がストーカーだ! 音程合ってない下手くそのくせに!」 「何だと!?」  私は「春くんのバーカ!」と叫んで、中庭から逃げ出した。 「ちゃんと指が動くのに、どうして!」  私は乱暴に涙を拭いながら、家までひたすら走りつづけた。
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