さよならピアニスト

3/7
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「さすが、ピアノ一家の娘だね。天才だよ」  中学までは、誰もがそう言って私を褒めてくれた。正直、天狗になっていたと思う。  中学生の私は、ずっとピアノばかり弾いている嫌なやつだった。 「手が震える? 大丈夫、リハビリをすれば治るよ。香澄ちゃんならきっと乗り越えられるから」  中学三年の春。手が思うように動かせなくなった時、誰もが私を励ましてくれた。  指が動かないのは、きっと私の努力が足りないから。  私はさらに練習時間を増やすことにした。辛かったけど、ピアノと春くんとの約束があったから頑張れた。  春くんが遠くに引っ越して、手紙もいつか返ってこなくなったけど、ピアノをやっていればいつか出会える。本気でそう信じていた。 「このまま我が校に、ピアノ専門で在籍させるのは厳しいかと」  先生が哀れむような声で母に説明するのを、私はずっとうつむいて聞いていた。  唇を噛みしめて、必死に涙をこらえていた。  翌日、私は初めてピアッサーを買った。 「香澄って、ピアノ弾けるんでしょ」  昼休みになり、自分の席でのんびりとあくびをしていた私は、友人のひとりにそう声をかけられて面食らった。 「と、突然、どうしたの」 「今吹奏楽部の話しててさ、香澄もピアノやってたなら入ればいいのにって」  私が何かを言う前に、桜ちゃんが興奮したように話し始めた。 「そうそう! この子、中学は波音(なみおと)学園って名門校で、ピアノ専門で通ってたんだよ。私も昔ピアノやってたからわかるけど、香澄ってマジエリートだよ」 「そうなの?」 「そうなの! だよね?」  私は桜ちゃんの勢いに押されて、こくりとうなずいた。 「香澄の両親、どっちもピアニストでさ、お父さんなんて超有名人なんだよ。お母さんは近所でピアノ教室やってるし、マジでピアノ一家」 「いいなー、うちの両親は普通に会社員だよ。っていうかさ、どうしてこんな普通の学校に来たの? ピアノのプロ目指せばいいのに」  胸の奥がずきっと痛んだけど、私は何とか笑顔を貼りつけて言った。 「目指してたけど、向いてなかった。みんなと一緒にカラオケで歌うほうが楽しいよ」 「えー? もったいなくない?」 「あはは、そうかも」  私は笑いながら同意した。膝の上で握りしめた拳が、カタカタと震えている。 「ごめん、私トイレ行ってくる」  ちょっと不自然だったかもしれないけど、吐き気がひどくて、これ以上この空間にいられなかった。  廊下に出て、ひとつ深呼吸をする。 「ふう、ちょっとマシになったかな」 「あんた、大丈夫かよ」 「うわっ!?」  いつの間にか目の前に春くんが立っていて、私は飛び上がった。 「な、何でここに!?」 「そんなに驚かなくてもいいだろ。あんたに話があるんだ」  私は青ざめて、頬を引きつらせた。  昨日下手くそって言っちゃったから、殺されるかも。 「とりあえず場所変えるぞ。すこし付き合ってくれ」 「はい……」  今すぐ逃げ出したい衝動を抑えながら、私は素直に春くんについていった。  本館から渡り廊下を通って、別館へと移動する。 「着いたぞ」 「ここって、音楽室?」 「そう、第二音楽室」  春くんは扉の鍵を開けて、中へ入っていった。私もその後につづく。  広い音楽室の窓際に、ピアノが一台設置されていた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!