cola

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 僕は彼女と並んで瓶入りのコーラを飲んでいた。一本のガラス瓶を彼女と交互に飲みながら、夜の海を眺めていた。  月も星もない夜。空は真っ暗で、そんな夜空を映し出す海も真っ暗。愛想のひとつもない光景だった。波音だけが不気味に鳴り響いていた。胸の奥を不穏に震わせるように響く波音が。  僕はコーラをひと口飲んで、彼女にガラス瓶を手渡す。 「ねえ、わたしはこんなに狭い世界から出ていきたいの」  コーラの瓶を手にしたまま、彼女がポツリと言った。 「まるでコーラの瓶の中に押し込まれたような気分。こんなに狭苦しいコーラの瓶の底で、どこにも行けないような気分で途方に暮れてるの。わかる?」 「わかる気もするね」 「こんなに狭苦しい世界から出ていきたい」  彼女はそう言って、コーラの瓶に口をつけた。 「出ていけるさ。いつだって」  僕は彼女にそう告げる。僕の声が波音にかき消されそうになりながらも。彼女は真夜中の暗闇の中で、僕の目を見つめた。 「本当にそう思ってる? ねえ、本当にそう思ってる?」 「もちろんだよ」  僕がそう告げたとき、大きな波音が不穏なほどに響いた。 「じゃあ、私と一緒にこんな狭い世界から出ていってほしい。今すぐにね」  僕は少し考える。  彼女のことを本当に愛しているか?  それが問われているような気がしたから。  僕は夜の闇の中で彼女の目を見つめる。彼女の目は切実に求めていた。この狭い世界から出ていくことを。 「じゃあ出て行こうよ。一緒に、今すぐ」  僕は彼女の手からコーラの瓶を奪い取り、ガラス瓶を地面に叩き落とす。たちまち大きな破裂音とともにガラス瓶は割れてしまう。  その瞬間、世界は大きく震える。ぐらぐらと大きく、立っていられないほどに。  気がつくと、月も星もない夜空に大きくヒビが入っていた。白い閃光か、あるいは蜘蛛の巣のようなヒビが夜空に張りめぐらされていた。  それは空だけじゃなかった。海も同じだった。真っ暗な海にもまた大きなヒビ。白い閃光のような、蜘蛛の巣のような。  彼女は息を飲んで、その巨大なヒビを見つめている。彼女と一緒にそのヒビを眺めていると、あるいはそれは単なるヒビではなく、割れたガラス瓶の破片のようにさえ思えてきた。  僕はひどく間違ったことをしてしまったのかもしれない。  夜空に広がったヒビや、海の破片を眺めていると、そんな気分が僕の胸に迫ってきた。  でも、コーラの瓶は砕け散ってしまった。僕たちの足元で砕け散ってしまっていた。僕が地面に叩きつけてしまったから。  ガラス瓶は元のかたちに戻らない。  僕たちはどこにも行けない。  絶望的な思いに囚われていると、彼女が地面に砕け散ったガラス瓶の破片を拾い集めはじめた。 「危ないよ」 「大丈夫」  彼女はそれだけ答えると、丁寧な手つきでガラス瓶の破片を拾い集めていく。すると、ヒビの入ったガラス瓶や、ガラス瓶の破片の断片がかすかに白い光を放ちはじめる。  そして彼女は、拾い集めたガラス瓶の破片を夜空に向けて、そして海へと向けて投げた。  たちまち夜空には満点の星が広がる。数え切れないほどの星屑が夜空いっぱいに広がってキラキラと輝きはじめた。そして砕けたガラスの破片みたいに流星がキラキラと流れていった。  そんな夜空を映し出す海もまた、星屑をばら撒いたみたいに輝きはじめる。打ち寄せる波のひとつひとつが小さな白い輝きを宿しているみたいに。  そんな光景を前に、僕の心は大きく震え、波打つ。この世界はどこまでも広がっているように思えたから。それはけっしてコーラのガラス瓶に閉じ込められたような狭苦しい世界ではなく、無限と思えるほどにどこまでも広がっていく世界。 「きっとあなたがコーラの瓶を割ってくれたからよ」  彼女がそう言って笑った。僕は彼女を見つめる。彼女の目の中にも白く輝く光が宿っていた。  きっと彼女とならやっていけるはず。狭苦しい世界ではなく、この広い世界で。  彼女の目を見た瞬間、僕の胸にそんな思いが浮かんだ。夜空に浮かぶ白い輝きのように。 (おわり)
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