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「父上は……とにかく強き人であった」
存外素直に言葉が出た。ここでこんなことをしている場合ではない。そもそも、ここまで主人に無礼を働く者の言葉に答えてやる筋合いなどない。そんなことは勝頼にもわかっている。
だが、一度全てを脇に置いて偉大な父の話をするというのは悪くなかった。 ずっと武田という家の生き残りに奔走してきた彼は、このような時を欲していたのかもしれなかった。
「儂が初めて、父上と一緒に戦に出た日のことを今でも覚えておる。鬨の声をあげる寸前、軍配を持つ父上の手は……震えておった」
これが百戦錬磨を誇る『甲斐の虎』の姿か。信じられないものを見て狼狽える勝頼だったが、周囲の将や兵に動ずる様子は見られなかった。
やがて、彼の視線に気付いたのか当の本人がこちらを見た。脅えとはかけ離れた顔で破顔する。
「案ずるな……武者震いじゃ」
そのまま軍配を天に掲げ、鬨の声を張り上げる。
「無双と呼ばれし我らの強さ。奴らに見せてくれようぞ!」
太く、低く、頼り甲斐のある声だった。それに続いて将が兵が、拳を振り上げ天へと叫んだ。
凄まじい轟音が地を揺るがせる。それは、戦の前から武田家の勝利を約束する声だった。事実、その後の戦では瞬く間に敵を討ち滅ぼした。
「これこそが、大将のあるべき姿。そう思った」
圧倒的な強さによって君臨し、味方に勝利を敵には絶望をもたらす……武田信玄とはそんな男だった。そして、勝頼はその信玄に『強さ』を認められた男だったのだ。
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