張子の虎

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 武田勝頼は確かに信玄の息子である。ただし、正妻の子ではない。本来では家督を継ぐことを許されない人間だった。  しかし、傍らで父を支えていたはずの長男が反旗を翻したことで、事態は一転する。後継の座は勝頼の元へ転がり込んできた。  このことは家中を揺るがせた。古くからの家臣の中には側室の子である勝頼を好ましく思わない者も多かった。それどころか自害を命ぜられた長男の肩を持つ者さえもそれなりにいた。  武田家に移ったばかりの勝頼にも流石にこの空気は辛く、父と酒を酌み交わしながら弱音が出てしまったこともある。 「……私にできるでしょうか?」  その言葉に、大きな両目がこちらを向いた。「しまった」と思った。こんな弱さを見せては父に愛想を尽かされてしまう。  しかし、勝頼の両肩を掴んだ信玄はにやりと笑って言った。 「できるに決まっておる。貴様は強いからな」  その一言で勝頼の覚悟は決まった。誰の腹から生まれようと関係ない。武田勝頼は『甲斐の虎』の血を受け継ぎ、彼から強さを認められた男だ。  その自信が武田家という場所で、多くの家臣とやり合う上での拠り所となった。やがて父が病に倒れ命を落としたとて、それは変わらなかった。  自らの手で戦を指揮し自らの手で政を行った。そこに幾つも過ちはあっただろう。だからこそ、今では滅びを待つ身になってしまった。  だが、己の中の強さを裏切らずにここまで来たこと……それは自体は今も勝頼の中で誇りになっている。  ステゾウは頭を下げながら、勝頼の話を聞いている。その表情は見て取れない。  だが、勝頼はそれでも良かった。最期に誰かと膝を突き合わせて、父の話を……武田信玄の話をすることができる。そのことが嬉しかった。  頬を上気させながらふと気付いた。まだステゾウの話を聞いていない。勝頼が生まれる以前から信玄と付き合いがあったであろう男だ。そんな彼が語る父の『強さ』の話を聞いてみたい。 「ステゾウ、今度は貴様が話せ。貴様にとって父上は……武田信玄とはどのような男であった?」  少し顔を上げたステゾウは、顎に手を当て首を傾げた。その瞳の中で、初めて何かが動いた。 「御屋形様、武田信玄公は……まっこと弱きお方であられました」
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