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「わしは、昔から戦が嫌で嫌でたまリませんでした。武田の家臣とは思えぬような臆病者でござりました」
信玄の話をすると言ったのに、自分の話をしている。話を引き伸ばすつもりだろうか。
「そんなわしが三ツ者に選ばれたと聞き、わけがわかりませんでした。こんな弱き者を選ぶなど、何かの間違いではないかと思ったことを覚えております」
『弱い』とステゾウは自らのことを言う。
だが、武芸と知略にある程度通じていなければ、三ツ者には選ばれなかったはずだ。彼が言っているのは『技量』ではなく『気質』の問題なのだろう。
「そして、武田家中の様子を探るよう命を受けました。その時に初めて、雲の上人だった御館様と会ったのでございます」
腿に置いていたステゾウの両腕が震え始めた。
「あの、お方は……恐ろしいお方でござった」
信玄はステゾウに言い放ったという。
「家中のことは、表裏の区別なく全て伝えよ。お前が知らずに、わしが知っていることがあれば殺す。わしが知らずに、お前が知っていることがあっても殺す。殺されたくなくば、『全て』を伝えよ」
当時を思い出したのか、ステゾウの歯が鳴り始めた。
「わしは……必死に働くしかありませんでした。家中の全てに網を張り、不穏な動きは逐一お伝え申した。いつ何時、他の三ツ者がわしの知らないことを、御屋形様のお耳に入れるかわからんかったから。実際に多くの三ツ者が、下手を打って人知れず始末されました。心が休まる時など……ございませんでした」
目に涙さえ浮かべていたステゾウは、ここで大きく息を吐いた。腰を丸めて震える老人を、勝頼は呆気に取られて見ていた。
「貴様は……それを強いた父上を恨んでおるのか?」
ステゾウはがばりと身を起こし「まさか!」と叫んだ。
「あれほど臆病者の気持ちを、わしらのような人間がどうすれば良い働きを見せられるのかを、よく知っていたお方はございませぬ! 現にわしはあのお方に尽くし続けました、その最期まで! 並み居る武将たちより遥かに弱いわしが……武田家のお役に立っていたのでございます!」
いつの間にか勝頼の前ということも忘れた様子のステゾウは、膝立ちになって天を仰いだ。そこには恍惚の表情が浮かんでいた。
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