張子の虎

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「それだけではございませぬ。あのお方は、他の誰にも明かすことのできない本音を、わしには話してくださった。何故か!? 臆病者故にそれを漏らすことがないと、信じてくださったからでござる! 様々な話を聞き申した。何故、戦の前に念入りな調略をするのか。何故、生涯に渡って版図を切り取り続けたのか。 何故、『甲斐の虎』などと呼ばれるようになったのか! 全て死ぬのが怖かったからでござる……わしと同じじゃ!!!」  目に涙を浮かべ狂ったように笑う老人を、勝頼は何も言わずに眺めていた。何故、この男が人ならざる者になってまで彼をこの陣へ呼んだのか……答えが見えたように思えた。 「『戦の前に御屋形様が手を震わせていた』とおっしゃられましたな。あれは武者震いなどではござらん。本気で怖くて震えていたのでござる。わしと同じように!」  この男は勝頼を嗤いに来たわけではない。暇を出された腹いせに来たわけでもない。ましてや、かつての信玄がした仕打ちに恨み言を述べに来たわけでもない。  ただ、誇りに来たのだ。誰よりも、実の子よりも武田信玄のことを知っている……と。 「若様。御屋形様は本当にあなた様のことを買っていらした。『奴はわしよりも強い』と何度もおっしゃられました。だが、武田家は滅んだ。何故かわかりますかな? あなた様に足りなかったのは強さではござらん。全てを疑い、先回りして手を打とうとする弱さ……弱さが足りなかった。愉快なことじゃ……本当に愉快なことじゃ!!!」  言葉では勝頼に語りかけていたステゾウは、しかし彼のことなど見てはいなかった。ひたすら一人で笑い転げていた。  その姿は、とても幾年に渡って生き延びた三ツ者のものとは思えなかった。   勝頼は黙って立ち上がると、刀を鞘から抜いた。ステゾウがそれに気づく様子は、ない。 「やはり、聞くべきではなかった……」  ずっと父の背中を追い続けてきた。『甲斐の虎』のように強い武将たろうと励んできた。  その父の本性がステゾウの言う通りなら、ずっと追うべきものを間違えてきたことになる。それは、勝頼自身の生涯そのものが間違いであったと言うのと同じだ。それだけは認めることができない。 「御屋形様。ああ御屋形様……御屋形様!」 勝頼が刀を振り上げた時、ステゾウは目をつぶり大の字になって笑い転げていた。赤い返り血が、白い幕へと散った。
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