バイクにまたがるイエス・キリスト

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 狩をしていた。 ウサギを仕留めてその場で解体を始め、腹を裂き持ち上げて体をしごき血抜きをし、皮を剥いで内臓を部位ごとに切り分け肉を作った。手についた血と脂を木の枝でこそぎ落とし、葉っぱで拭う。    荒れ地用に改造したバイクに乗り山に向かうと、何者かに食べられた動物の残骸があった。肉がほぼ残っていない肋骨や、足の骨。頭骨は無い。 狩に銃は使わない主義で弓と剣とナイフだけなので、ジャッカルのように群れで来られたら逃げるしかないが周囲に動物の気配は無い。    山のふもとに着くと日が沈みかけてきて薄暗くなったので今夜はここで寝ることにした。木の枝を集め火をつけてウサギの肉に、持ってきた野菜を混ぜて炒める。一緒に湯を沸かしスープも作る。 夜行性の動物に襲われないように折りたたみ式の円形の囲いを設置し寝床を作る。    燃費の良いバイクで満タンで三百キロ走れるし、予備タンクには同じく三十リットルあるから当分は街に帰らなくてもいい。 食事を終えバッグからウオッカを取り出すと、月の光で草原の向こうから人が歩いてくるのが見えた。しかも手に何も持っていないようだ。無防備にも程があるがこんな時間に何者だろう。近づいてくると素足に草履ばきだ。服も薄い布地一枚のようだ。 「今晩は。火が遠くから見えたので来てしまいました。私もそこへ座って良いですか?」 四十代くらいで全体に痩せこけているが、目力は異常に強い。 「良いですよ。肉はもう無いけど、スープとパンはあります。それからウォッカも」 「それはありがたい。いただきましょう」 「しかし、こんな時間にそんな軽装備でよく無事でしたね。どこへ行くつもりなんですか?」 「いや、どこということはなく。ただ、あなたのお力になれたらと」 「ハハ、面白いことを言われる」 男はパンとスープを口にして、とてつもない笑顔を見せた。この笑顔は吸い込まれる。 「ウオッカもどうぞ。私はピーターと言いますがあなたのお名前は?」 「イエス・キリストと呼ばれています」 「面白いですね、あなたは。世界で一番有名人と同じ名前で呼ばれているとは」  イエスと呼ばれている男はさらに不思議な魅力の笑顔を見せた。 「寝床は一つしかないのですが」 「大丈夫です。このまま寝られますから」  沢山話したかったのだが、ウオッカが疲れた体に早く効いた。 翌朝、男は起きていてお湯を沸かしてくれていた。 「すいません。勝手にあなたの道具でお湯を沸かしました」 「いやー、ありがとう。今、コーヒーを入れますね」  彼の笑顔は実に不思議だ。この笑顔で「イエス」と呼ばれるようになったのだろうか。私も躊躇うことなく「イエス」と呼んだ。 「イエスさん、これからどうします?私はまだ街には帰らないんだ。もう三〜四日、山を走ってから帰ろうと思っている。街には行かないがどこかの道までなら送りますよ」 「ありがとう。街に行ったら大変なことになりそうだから、しばらくあなたと一緒に行動しても良いですか?食事は木の実を取りますから」 「良いですよ。でもあなたは不思議な人ですね。なぜかあなたと一緒に居たくなるんですよ」 バイクの後ろに乗ってもらい、私たちはタンデムで走行した。しばらくすると彼の体が震えているのを感じた。 「イエスさん。どうしました。怖いですか?」 「こんなに早く走る道具は初めてなので。驚きです」 「ハハハ。山道だからゆっくり走っているつもりだけどな」 怖がっているのでスピードを落とすと、私のお腹に回している手の力がやや弱くなった。 「ピーターさん、何か悩んでいるようですね?聞かせてもらえますか?」 「背中の音で感じますか?実は母が病気でずっと看病していたんですが、兄妹に少し休めと言われまして。私まで倒れたら大変だと。それで大好きなバイクで山を走ろうと」 「お母さんの名前は?」 「マリアです」 「私の母と同じです」 「そうなんですか。まあ、よくある名前ですからね」 「お母さん、治りますよ。大丈夫です」 「イエスさんにそう言われるとそんな気がしてきますよ。ありがとう」  三日後、イエスは「では、ここで」と言って町の外れで降りていった。  私の右膝の痛みを取り、歴史の本で読んだ話を臨場感満載で聞かせてもらった。彼の話を思い出しながら少しづつでも書いていこう。おそらく一冊の本になるだろう。それほど濃厚な三日間を過ごした。  私は母の病院へと向かった。
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