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その後、フレスコ画に取り掛かった。漆喰の下地が乾かないうちに、ラファエロは水で溶いた顔料を塗ろうとした。
ところが、思いがけないことが起こった。
右手が勝手に震えてしまう。
「先生、どうされました?」
「右手が震えるのだ。これでは線がまっすぐ描けない。こんなことは今までになかった」
青ざめたラファエロの姿を見て、ブルーノは休憩を提案した。
「先生、お疲れなのでは。しばし、休憩してから、もう一度やってみてはいかがですか」
「そうしよう」
しかし、休憩後も同じであった。
その日は作業を切り上げ、翌日を期した。
ちょうどそのころ、ミケランジェロもヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画を描いている最中であった。ラファエロはミケランジェロに相談しようと思い、礼拝堂に入った。高い足場の上からミケランジェロはラファエロを認めると、敵意のこもった視線を寄越した。画法を盗まれるやも知れぬと、警戒しているようだった。ラファエロは気持ちが冷めて、早々にそこを辞した。ミケランジェロは案外肝が小さな男なのかも、という思いが頭をよぎった。
その翌日も、手の震えはおさまらなかった。
「大変なことになった。これではいつまでたっても壁画は描けない」
「先生、すぐに医師に診てもらいましょう」
ラファエロは、ヴァチカンの医師に診てもらった。
「食事をとるときは、ふつうにナイフとフォークは使えますね?」
「ああ、もちろん」
「絵筆を持つときだけ、震えるのですね?」
「ああ、そうだ」
「これは書痙ですね」
「しょけい?」
「作家のように、文字を書くことを仕事とする人に多い神経症です。音楽家や画家など、特定の専門的な仕事をする人が、その仕事に係る動作をするときに手が震える病気です」
「治療法は?」
「ありません」
「ないのか? じゃあ、いつ治る?」
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