ラファエロの震える手

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「それではさっそく、分担して建物から描いてくれたまえ。何せ、この壁画は縦五メートル、幅七メートルもの巨大な画面なのだ。諸君が師ペルジーノの工房で培った、画面を分割し、同時に集団で仕上げていく画法に、まさにぴったりの仕事なのだ。期待しているぞ」  こうして『アテネの学堂』は順調に仕上がって行った。あとは、顔の部分を残すのみとなった。 「ブルーノ。試しにプラトンの顔を描いてみよう。だめだったら、頼むぞ」 「先生、きっと大丈夫です。この一年間の先生の苦闘ぶりを、きっと神もご照覧あそばされているはず。自信を持ってお描きください」  ラファエロは、絵筆を右手に持ち、壁画に向かった。プラトンの顔を描く。  落ちくぼんだ眼窩、高い鼻梁、豊かな白い口ひげと顎ひげ……。震えない! 「ブルーノ、手が震えないぞ!」 「先生、治りましたよ!」  十人の弟子たちも目を見開いて、ラファエロの筆先をじっと見つめている。  やがてプラトンの顔を描き終わったラファエロに、ブルーノは声をかけた。 「先生、この顔は……」  ラファエロは口角を上げた。 「そうだ。ダ・ヴィンチだ。あの方から随分学ばせて貰った。これはお礼の気持ちで描いたのだ。次を見ておれ」  ラファエロは、再び絵筆を取ると、画面の下段にある階段の手前で、一人ぽつねんと、左手で頬杖をついて拗ねたように熟考しているヘラクレイトスの顔を描いた。 「これはまさか……」 「そうだ。ミケランジェロだ。彼の技量は尊敬するが、私の画法とは相容れない。おまけに、彼からわたしはかなり嫌われている。そのお返しさ。ヘラクレイトスは最も偏屈な哲学者として有名だからな」  ブルーノたちはぷっと噴き出した。 「さて、今度はユークリッドだ」  画面の下段、禿げ上がったユークリッドが右手にコンパスを持ち、石板の上にかがみこんで、生徒たちに幾何学の定理を説明をしている。
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