ラファエロの震える手

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「先生、明日出て行きます」 「ラファエロ、待ちたまえ。君はまだ若すぎる」 「先生、ぼくは焦っているんです」  一五〇四年、古都ペルージャにある人気画家ペルジーノの工房は、繁栄の絶頂にあった。宗教画、とりわけ祭壇画の注文は引きも切らず、総勢五十人にもわたる弟子たちを使って、同じモチーフで、分業制で大量生産をするという旺盛な制作活動を続けていた。  若干十四歳で、この工房に弟子入りをしたラファエロは、父譲りの画才に加えて、研究熱心な性格のため、師ペルジーノを質問攻めにし、日一日と、画家としての腕を上げていった。  その結果、二十才になるころには、師のペルジーノを上回るほどの人気を得ていた。  そのラファエロが、工房を辞めたいと師に頭を下げた。 「なぜ、工房を辞めたいんだ?」 「ぼくはフィレンツェに行きたいんです。そこで、ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品を、この目で見たいんです」 「彼らの作品を見たいのなら、特別に休暇をやろう」 「それではだめなんです。彼らの作品だけでなく、彼らの仕事ぶりを見たり、彼らと直接話をしたいんです。そして、いつか一緒に仕事をしたいんです」 「君はまだ二十一歳なんだ。焦るな」 「ぼくの父は十一歳のときに、母は八歳のときに亡くなりました。ぼくの体にも短命の血が流れています。時間が惜しいんです」 「しかしなあ、ラファエロ。うちの工房はお前に支えられているんだ。今辞められては困る」 「これまで面倒を見ていただいたご恩は忘れてはいません。でも……」 「でも、何だ?」 「ぼくは今、人気があっても虚しいんです。ぼくの今の画風は先生の模倣です。ぼくは、ぼく独自の画風を生み出したいんです。そのためには、もっといろいろな画家に出会えるフィレンツェに、行かなければならないんです」  自分はこんな田舎の画家で終わりたくない、という本音が喉まで出かかったが、それはこらえた。
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