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「まさか、こんな風に再会するとはなー」
しみじみとした克哉の言葉に頷きながら、大きな目のテーブルを息を合わせて持ち上げる。そのまま家の外に運び出して指定された位置に並べ、次の荷物に取り掛かる。家の中には傾いて倒れたタンスや棚がまだまだ残っていた。
祖父母の家を概ね片付け終えたところで、長期休暇はまだ3日ほど残っていた。家にいても落ち着かないので残りの日はボランティアに行くことにした。
市内の中心にある花畑公園でボランティアの受付を済まし、行先ごとにグループが分けられると、その中に克哉がいた。
「結局は、体を動かしてるのが一番落ち着くから」
「俺も。まあ、高校時代は授業聞いてた時間より走ってた時間の方が長いくらいだからな」
「さすがにそれは授業聞いてた時間の方が長いよ」
軽口を叩きながら、次は小さめのタンスに取り掛かる。ボランティア先は60後半代の夫婦の家で、福岡にいる息子夫婦の家にしばらく避難するということだった。
地震が落ち着き家の解体が住んだら新しい家を建てると意気込んでいて、それまで使える家具は親戚の倉庫に避難させるらしい。僕達が頼まれたのは、そういった家具をトラックに積み込むために、家の外に運び出すことだった。
「来年の熊本城マラソンはどうなるかなあ」
「被害が分かるまで保留だろうな」
「克哉にリベンジしなきゃいけないのに」
「2年間かけて練習して来いってことじゃないか?」
「9ヶ月後、楽しみにしてろよ」
家具を運び出しながら克哉と昔のようなやり取りを交わしていると、何となくモヤモヤしていた気分が落ち着いていく。この地震は多くのものを変えてしまったけど、こうして変わらないものもあるのだと実感できたからかもしれない。
「この作業、小走りでやったらついでに練習になるんじゃねえか?」
「安全に注意しろって言われたでしょ」
ちぇっと詰まらなさそうに口をとがらせる克哉を小突いて、僕らは作業を進めた。
僕たちを含めて6人で作業に当たっていたこともあって、作業は午前中のうちに終わった。連休中ということもあってボランティア希望者が多く、午後の作業は特にないとのことだった。
花畑公園のボランティアセンターで報告を終え、「ラーメンでも食いに行こうぜ」という克哉の誘いに乗ってアーケード街――下通――に繰り出した。
克哉に連れていかれたのは、予想に反して煮干しラーメンの店だった。完全にとんこつラーメンの口になっていたけど、ラーメンは予想を裏切る旨さだった。
「一つ、青羽に言わなきゃいけないことがあってさ」
ラーメンを殆ど食べ終えたところで、テーブルの向かいに座る克哉が真面目な顔で切り出した。
「俺、悠花と付き合うことになった」
それは完全に不意打ちで、思わず箸を落としてしまいそうになる。
「今回の地震でさ、悠花も色々思うところがあったみたいで。本当はすぐに青羽にも報告しなきゃと思ってたんだけど」
「いや、いいよ。おめでと」
自分で思ったよりずっと、祝福の声は乾いていた。克哉が小さく表情を歪める。
「悪い」
「なんで謝るのさ」
「お前、好きだったろ。悠花のこと」
克哉の率直な言葉は、グサリときた。
克哉と悠花と僕はいつもの陸上部の三人組だけど、僕は確かに悠花に惹かれていた。天真爛漫な雰囲気も、熊本に残ってほしいと真剣な顔で伝えてくる声も、青春とは違った色合いで頭の中に焼き付いている。
「僕は悠花の傍にいられないから」
「なんで。熊本に帰って来ればよかっただろ」
僕は克哉の言葉に首を振る。
5年前、自分の進路を考え始めた頃、東日本大震災が起きた。
テレビ越しに見た映像は現実のこととは思えなくて――それが僕の人生の軸に座った。
防災から復旧まで担える職として建設業という道を選び、大手の建設会社に進んだ。大きな災害に備えるようなプロジェクトに携わるには、それだけの規模の会社を選ぶ必要があった。
それはここではできないことだった。
だから、悠花にどれだけ説かれても、その軸だけは曲げるわけにはいかなくて。
「悠花だって、元はお前のこと――」
「こっちにいるの、あと三日だからさ。この辺り散歩してから帰るよ。今日はお疲れ」
克哉の言葉を最後まで聞かず、最後のラーメンをすすって店を出る。
その先の言葉は、聞きたくなかった。その先を聞けば、僕も変わらざるを得なくなるだろうから。
*
店を出て、行く当てもなく歩いていくと、無意識のうちに熊本城に向かっていた。
ずっと変わらないと思っていた熊本城も石垣や櫓が倒壊するなど大きな被害が出ている。復旧にかかる期間はまだ不明だという。
天下の名城、熊本城。ずっと変わらないと思っていたものが、大きく変わり果てていた。結局、変わらないものなんて何もなくて、全部移ろっていってしまうのか。それならば、災害からこの国を守りたいなんていう僕の考えは所詮青臭い妄想に過ぎないのだろうか。
「あ……」
掘りを挟んだ向こう側に大きく崩れた石垣が広がる。
その上の櫓は石垣一本に支えられてその形を保っていた。
『奇跡の一本石垣』
その存在はテレビでは見ていたけど、実物を見るのは初めてだった。
数百年前に築かれた建築物が、形を崩しながらも意地の様に踏みとどまっている。
ぶるりと、心が振れた。
その精悍な光景から目を離せなくなる。
変わるもの。失われるもの。変わってもなお留まり続けるもの。
地震が起きてから漠然と抱えていた疑問への答えが目の前に示されているようだった。
永遠に変わらないものなんてないのだろうけど、姿を変えても根源的に変わらないものがある。
僕がかつて守りたいと思ったものは、こういうものなのかもしれない。
それに向かって、まずは走り続けてみよう。
ギュッと目を瞑って決意を固めてみる。それから目を開いて熊本城を見上げると、奮い立つ気持ちと同時に足元から震えが上がってきた。
想うだけなら簡単だけど、それを達成するのはきっと容易ではないだろう。でも、これはきっと武者震いだから。
——だから今は、少しだけ待っていてほしい。
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