無表情俳優と晩御飯

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「お待ちどうさまー。本当にノンアルでいいの?」  お盆に料理を乗せて持ってきた大将が、心配そうな表情で聞いてきた。 「いいんです。明日も仕事なんで…」  私は苦手な笑顔を薄く浮かべながら、「今度来た時は呑みます」と付け加えた。  卓上に置かれていく料理の数々に、思わず唾を飲み込む。  軟骨の唐揚げにたこわさに焼きホタテ…。その中でも一際存在感を放っているのは、やはりメインの豚の角煮。深い小皿に入ったその大きな肉塊は、黒いタレの湖に鎮座していた。それとは別皿でカラシがついている。多めなのが嬉しい。  私はノンアルコールビールの蓋を開けて、箸を構える。  まずは揚げ物から一口。軟骨の唐揚げ。  唐揚げといえば茶色い衣が一般的だが、この店では米粉を使っているため全体的にオレンジに白みがかった色合いをしている。米粉を使うことにより、冷めてもサクサクとした揚げ物の食感が保たれるのだ。  箸で一粒掴み、口の中へ運ぶ。  ザクザクコリコリとした食感に米粉の風味が広がり、軟骨から出るトロリとした鳥の油の味が何ともたまらない。  口の中に風味が残っているうちに、コップに注いだビールを流し込む。  炭酸の辛みの中にほのかにビール特有の苦味が感じられるが、この泡を飲む感覚が堪らない。  『ぷはぁ』と小さく息を継ぎ、また食べては飲むを繰り返す。あっという間に料理皿が一つ空いてしまった。  久しぶりに来たからとはいえ、やはりこの店の料理は美味しい。食べる手が止まらない。  空になったコップにビールを注ぎ、次はたこわさが入った小皿を目の前に持ってくる。  本当は単品でじゃなくて何かの合間合間に食べるもの何だろうなと思いつつ、一口大に切られたタコの脚を箸で摘み食べる。  タコのぷにぷにとした食感に、刻まれたキュウリのシャキシャキ感がアクセントになっていて、箸が止まらない一品だ。ワサビのツーンとくる辛さが口直しとなり、先程食べた軟骨唐揚げの油っぽさを消しサッパリとさせてくれる。  やっぱりここの店のたこわさが一番美味しい。  どうしても食べたくなって家で作った事があるが、何度やっても同じ味にはならなかった。  出汁の配分が少し違うのだろうか?もしかしたら、秘伝の材料を使っているのかもしれない。  作り方を教えてもらうことは出来ないだろうか…?  チラリと横目でカウンターにいる大将を見ると、偶然目が合い、何故かウィンクをしながら親指を立てられた。  どう返していいのか分からないので、軽く頭を下げる。  そうこうしているうちにホタテがいい感じに食べ頃になっていた。  固形燃料を入れるための専用のコンロの上には、切り分けられたホタテが入った貝殻の器があり、火に熱されバターが溶けた醤油出汁がぐらぐらと煮えている。  熱々が美味しいのは分かってはいるが、猫舌なので少し冷ましてから口に運ぶ。  染み込んだバター醤油の香りが口の中に広がり、ホタテは噛めば噛むほど繊維がほぐれ旨みが溢れ出す。疲れた体に染み渡って行くような感覚だ。  少ししょっぱいが、酒を飲むなら丁度いい濃さだ。  ホタテに合わせるなら何がいいのだろう。試したことは無いが、噂ではワインも合うと聞いたことがある。無難に日本酒もいいだろう。  今度来た時に大将に聞いてみよう、と心に決める。  ホタテを一切れ一切れじっくりと味わい、いよいよ最後の品でありメインディッシュである、豚の角煮に手をつける時が来た。  思えば食べるのはいつぶりだろう。  さっぱり記憶が無いので、もう10年以上食べたことがないかもしれない。というかどこで食べたんだ?  そんな遠い記憶を探るぐらいには、食べるのは久しぶりである。  さて、この分厚い肉の塊をどうやって食べようかと思い、とりあえず箸を押し付けた時に、私は衝撃を覚えた。  微かな抵抗の後に、スっと箸が肉に入り、そのまま割れていく…。  この分厚さで、この存在感で…。あまりにも柔らかすぎることに、思わず箸を持つ手が震えた。  何だこの柔らかさは?ほとんど力を入れてないし、もしかしたらゼリーよりも柔らかいんじゃないか?  本当に箸で持ち上げることは出来るのだろうか?  小さく割り、掬うようにして慎重に持ち上げる。  手の震えと共に小さく揺れる角煮の姿を見て、そのまま液体となって崩れるのではないか?という考えが頭をよぎった。  まずは何もつけずに、慎重に口の中へと運んでいく。  最初に感じたのは肉に絡んだ甘辛く、そして濃いタレの味だった。そしてじんわりと、少し甘い豚の油が溶け出しているのを感じる。  舌で角煮を運び、歯でゆっくりと噛み締める。  ものすごく柔らかいが、しっかりと肉としての食感が残っている。 まるで切り分けられたジューシーなハンバーグから肉汁が溢れ出すかのように、旨みの液体が洪水のように口全体に広がった。  その幸福感を噛み締めながら、コップになみなみと継がれたビールを一気に仰ぐ。  静かにコップを置き、自然と口から言葉が発せられた。 「はぁ、幸せ…」  あまりにも美味しすぎる。  本当にこの世の食べ物なのだろうか?  豚を一番美味しく食べる調理法を訊かれたら、間違いなく私は角煮を推すだろう。  味がものすごく濃い。まさに旨みの塊である。  半分に切り分けて、片方の塊を一口で食べる。  一瞬にして脂身が溶け、上品な味が広がった。  これは個人的には酒よりも、炭酸ジュースの方がいいかもしれない。  これも今度来た時に試してみよう。  心の中で思いつつ、残りの半分はカラシを添えて口に運ぶ。  今度は油と肉の旨みがカラシの辛さと混ざりあい、三つが調和しあってより食欲をそそる味へと変化した。  これはご飯が欲しくなる。  素のままだと味に飽きてしまう人もいるかもしれないが、カラシを付けることによって辛さが油っぽさを打ち消し、全くくどくない引き締まった味になる。  これは無限にご飯が食べられそうだ。  こうして私は最後の一口まで、料理を余すことなく楽しんだ…。
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