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ふるえる
小学生だったぼくはあの日、川べりを歩いていた。
疲れた腕に、プラスチックの水槽が重かった。
中には体長5センチほどのナマズがいて、ひたひたの水をかき分けている。
そぼふる雨が全身を濡らし、重くなった髪が額に垂れてじゃまだった。
親に水槽のことを聞かれた。
「そいつはでかくなるんだぞ。うちじゃ飼えねえから、捨ててこい」
おとうさんの口調はゴミ当番を僕に押し付けるときのようにぞんざいだった。
「さもないとミャンマー料理に使っちまうぞ」
せっかく水たまりから救い出したちびナマズを、スープにされてはたまらない。
ぼくは水槽を抱え、家を出た。
すぐに雨が降り始めて、服が濡れた。
それでも構わず歩いた。
おとうさんに腹を立てていたからだ。
「帰ってなんてやるものか」
それでも体がふるえだすと、乾いた服に着替えたくなった。
「ぼくは家出したんだ」
そのつもりでいたぼくは、すぐに帰るのは恥ずかしい、と感じていた。
とりあえず川に向かった。
ナマズと出会った橋の下なら、雨をしのげそうだ。
濡れて冷たかった。
それだけで手足が重くなって、橋にはまだたどり着けないでいた。
雨で量が増えた水槽の中、ちびナマズが「ぶるん」と身をふるわせた。
ピロン、ピローン
ピロン、ピローン
聞き覚えのあるサイレンにつづけて、「緊急地震速報です」という音声が流れた。
町内放送がこれから襲い来る地震の予報を流している。
震度四以上、間もなく揺れがくるそうだ。
どうする? と、気ばかりが焦った。
川の近くにいてはいけない気がする。
土手に上がる階段は目の届く範囲になく、両手には荷物を抱えていた。
濡れた草はきっと、すべり台よりつるつるだ。
困り果てて水槽に目を落とすと、ちびナマズが見上げていた。
目が合う。
次の瞬間、あいつは跳ね上がって、河原の泥の上に落ちた。
「なにしてんだ! 今にも地震がくるってのに」
拾い上げようとしたら、ナマズが消えた。
まるで泥土が、ほんとうは水だったかのように、「とぷん」と潜った。
驚く間もなく、突き上げるような揺れがきた。
ひと呼吸したら、横揺れがくるだろう。
ぼくは水槽を抱えたまま立ちつくした。
どうにも出来なくて、ただ怖かった。
ところが、身を固くして待っていても、大きな揺れはこなかった。
しばらくすると、緊急地震警報が解除された。
ぼくは空の水槽を抱いて、家に帰った。
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