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 震える。寒い。震えることで何かが変わったと実感できるわけではない。動けば温かくなるみたいなそういう仕組みなのだろうとは思うけれどそれを実感はできない。  もう一度震える。まるで水を浴びた後の犬みたいな震え方だなと思う。思ったところでもう一度震える。違う、今度は私じゃない。地震だろうか、一瞬だったので多分小さかったのだろう。近くの人も気づいた人が周囲を見回していて気づかなかった人が普通に歩いているという風だ。確かに気にするほどの地震ではないだろう。  立ち止まってしまったらまた寒さを強く感じる。もう一度震えて歩き出す。風が冷たい。震える、揺れた。また地震だ。少し不安になる。小さい地震の一つなら気にすることもないけれど、連続するとなると少し気になる。たまに見る地震情報のサイトを見る。十七時十分ごろ、十七時十分ごろ、十七時十分ごろ。全て今の揺れの時間、全て震度一、それがぱっと見られる範囲全てを埋め尽くしている。まるで全部の地震計が同じ地震を感知したように。怖い、震える。また、揺れる。タイミングがおかしい。わかっている。私が震えてから数秒経つと地震がある。そんなはずはないのに、三回もそれが繰り返されてしまって否定できなくなってしまった。私のせいであるはずがないのに、頭の中の何者かが私のせいだと私を責める。私は反論することができない。  慌てて帰る。私が震えたせいでこんなことになっていると私が責めているから、誰かがそれに気づいたら私はそのまま肯定してしまいそうだから。そんなはずはないと言う理性はそうに違いないという思考に簡単に押しつぶされる。  テレビをつけるとほとんどの局でニュースをやっている。もちろんニュースは妙な地震の話で持ち切りだ。私が見た地震情報は日本のものだけだったけれど、海外でもそうなっているらしい。地球にある全ての地震計が同時刻に同じ震度の地震を感知したらしい。それも三回も。確かに二回寒さで震えて、一回怖さで震えたからそうだろう。一回目と二回目は震度一で、三回目は震度二だったらしい。確かに寒さで震えたときは一瞬小さくだったけれど、怖さで震えたときはそれより大きかった。ああ、私は私のためにこの地震が私のせいであることを否定してあげたいのに、私の頭は私のせい以外の結論を作り出せない。  テレビを消す。どの番組も地震の話をしているから。消す直前に全部の地震計が壊れたとでも考えるほかないと言っていたけれど、それがそのうち私のせいだという結論にならないなんて今の私には言えないから。  怖い、怖い、怖い。頭を抱える。身を守るように丸くなる。怖さは消えない。身体が震えてくる。震えちゃだめだ、震えちゃだめだ。その思考は身体をとめられない。  飛び起きる。辺りを見回す。いつものようにパジャマを着ていつものように布団に入っている。  夢か。それはそうだろう。私が震えることで地震が起きるなんてこと、あるわけないじゃないか。けれど夢の中の私は追いつめられていた。その常識に勝てないほどの状況が揃っていたから。  起きるときに布団をはねのけてしまったので寒い。この季節は布団から出るのが難しいのに今日は一発で出られる。もう布団の温かさもなくなってきている。布団を被りなおすべきではない。そんなことを考えるにはパジャマ一枚は寒い。上着を羽織ろうとして少し震える。上着が冷たいんだなと思ったところで、また揺れた。
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