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「はぁ〜なんであないなこと、言うてもうたんやろ〜〜!!あぁ…時間よ、戻ってくれぇぇぇぇぇ〜〜!!」
今日も忙しない時間の流れる、京都地方検察庁。
4人目の聴取を終え、裁判所に向かう車内でずっと同じことを口走っては頭を抱えてる上司に、佐保子はルームミラー越しに見つめてため息をつく。
「一体何なんですか。さっきからおんなじセリフ…何か見落としでもされたんですか?」
「…ちゃうねん。仕事やない…その、プライベートや。」
「ああ。奥様との事ですか…喧嘩でもされたんですか?」
「なっ!な、なんで…」
ズバリ言い当てられダラダラと冷や汗をかく藤次に、佐保子は盛大にため息をつく。
「検事のプライベートでそんなに動揺される案件は、奥様との事くらいしか思い浮かびません。…で、何があったんですか?」
「いや…その…」
身内の恥を晒すようで気が引けたが、誰かに聞いて貰えば気も紛れるだろうと思い、藤次は今朝の…絢音との喧嘩を佐保子に話す。
「そんな事で喧嘩したんですか?!第一、検事だって一回その手帳にお茶溢してるじゃないですか!なのに奥様を責めるなんて、自分勝手もいいとこですよ?!」
「あ…いや…なんか、朝起きたら新聞もなかったし、味噌汁も、いつもと違う味やったし、なんかそう言う…小さいイライラが積もってもうて…つい。」
しょぼんと小さくなる藤次に、佐保子は言い過ぎたかと小さく苦笑し、赤信号で停車したのを良い事に、助手席に置いていたバッグから一枚のチラシを出して藤次に渡す。
「なんやこれ。絢音の行きつけの花屋…明凛(めいりん)の…春のフラワーフェア?」
小首を傾げる藤次に、佐保子は続ける。
「お花安いみたいですし、花束と…奥様の好きなスイーツでも買って、素直に謝ったらどうです?そんなに後悔してるなら。」
「せやけど…絢音かてワシに、靴下裏表ひっくり返して脱衣籠にいれるなとか、ズボンの中に小銭やティッシュいれたままにすなとか、結構なこと言うてんで?せやのに、ワシから謝るなんて、癪や。」
「じゃあ、奥様とこのまま、喧嘩したままで良いんですね?」
「そやし…」
そう言った瞬間、車が裁判所の駐車場に停まったので、佐保子はキリッと表情を正す。
「はい!この話はここまでですよ!!公判2件、キッチリこなして下さいね!?」
「…仕事なんか、したない。京極ちゃん、ウチ行って。絢音が愛想つかして出て行ってないか、確かめる!」
「なにバカ言ってるんですか!!被告人の一生背負ってるんですよ?!シャンとして下さい!!」
「………そやし!」
「検事!!」
キツく嗜められ、藤次は渋々検察官の顔になり、粛々と職務をこなしていったが、頭の中には絢音がずっといて、心ここに在らずで、佐保子に何度も注意されても、スマホが気になり、チラチラと盗み見ては、絢音からの謝罪メールを待っていた。
そうして昼になり、公園で弁当を開いたら、春の山菜の炊き込みご飯に、大好物の唐揚げと筑前煮と、うさぎ型に飾り切りされたリンゴが入っていたので、胸がキュッと…締め付けられる。
「せや。今日…スケジュールハードやから、激励してやって…好きなもんばあ入れてって、頼んだんやっけ…」
作り置きだってできるのに、唐揚げだけは、いつも揚げたてを入れてくれる。
朝から揚げ物なんて、しかも朝食と並行して…大変に決まってるのに…
「(いってらっしゃい。)」
いつも明るい笑顔で見送ってくれたのに、今日は怒り顔で、罵り合って別れてしまった。
彼女の笑顔が、何よりも好きなのに…
じわりと涙が滲み、唐揚げがいつもより塩っぱく感じて、益々胸が締め付けられる。
「ワシ、嫌われたない。絢音が、好きや…」
そう言ってスマホを出そうとしたら見当たらず、地検に置いて来た背広のポケットに入れている事に気づき、結局…外回りの仕事を終えるまで、彼女に謝罪のメールを送ることは出来なかった。
そうして地検に戻っても、雑務や聴取に追われて、スマホには触れず、結局落ち着いてメールを見れたのは、全てを終えた…夜中の23時だった。
「あ…」
メールを開いてみると、絢音からの謝罪のメールが沢山来ており、とりあえず、嫌われてはいないと胸を撫で下ろす。
直ぐに返信したかったが、花屋が閉まるまで時間がなかったので、自転車を飛ばして、絢音の行きつけ…花屋の明凛と、彼女の好きなスイーツ店カナベルに向かった。
*
長屋の小径に入ると、家に灯りがついていて、こんな時間なのに、待っててくれてるんだと思うと嬉しくて、自転車を停めて、真っ赤な薔薇の花束と、カナベルの菓子箱を持って、玄関の鍵を開けて中に入る。
すると、涙で顔をくしゃくしゃにした絢音が飛び出して来たので、泣かせてしまった事に対してバツが悪いのと、こんなに泣くまで後悔してくれてたんだという嬉しさが入り混じり、複雑そうに照れ笑う。
「なんや、そない泣き腫らした顔して…メール、返信せんかったからか?仕事やら買い物やらしてたら、忘れとった。ホラ、お土産。…今朝は、怒鳴ってごめんな?」
そう言って、カナベルの菓子箱と花束を渡すと、絢音は目を丸くする。
「仲直りの印。カナベルの特製イチゴショート。いっとおデカいイチゴ乗っとるの見繕ってもろたさかい、飯の後に食お?…あったかい飯、用意してくれとんにゃろ?」
「うん…藤次さんの好きな、唐揚げと豆腐ハンバーグと、筑前煮。」
指を折りながらそう言って、大好物ばかり作ってくれた彼女の優しさがうれしくて、愛しくて、藤次は絢音を抱き締める。
「阿呆。そない好物ぎょうさん食えるわけないやろ…またワシ太らせる気か?」
「だって…だって…」
自分に縋りついて、グスグスと泣きじゃくる絢音の涙を拭ってやりながら、藤次は優しく彼女の唇にキスをする。
「泣きなや。もう、怒ってへんから。せやからな?ご飯、食べよ?」
「ホント?私のこと、嫌いになってない?他の女(ひと)に、余所見してない?私より素直な可愛い娘、もっとたくさんいるから、だから」
腕の中で少女のように目を潤ませて問いかける絢音が可愛くて可愛くて、藤次はピンッと、彼女のおでこを弾くと、戸惑う彼女をキツく抱きしめて、耳元で…今日一番言いたかった言葉を囁く。
「お前が、一番や。俺の女は、お前だけや。安心せい。…好きや。」
「あ、アタシも、好き。…今朝は、ごめんなさい。」
赤い顔で恥じらいながら紡がれた言葉に、藤次は目を細めて、ポンポンと彼女の小さな背中を叩く。
「うん。ほんなら、おあいこ…仲直りや。今夜は目一杯、愛したるからな?」
「嬉しい…じゃあ、ご飯、温め直すわね?」
「ああ。」
そうして絢音と頷き合って、居間で彼女の温めた食事を食べた後、共にカナベルのイチゴショートケーキを食べ、共に風呂に入って、優しく彼女をベッドへ誘い、大事に大事に身体を抱き、ゆっくりと微睡に落ちていく絢音を見つめながら、煙草に火をつけ紫煙を燻らし、カーテンの隙間から覗く窓から見える月を眺めて、深まった彼女との愛に、胸をときめかせていた。
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