スノーホワイト

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 その日、僕は雪女と出会った。  視界が覆われる程の酷い吹雪の夜、残業に電車の遅延と不運に不運が重なった帰路の先でその人は立っていた。フード付きの外套に黒いハイヒール。この悪天候においてあまりに心許ない防備で街灯に切り抜かれた円のなか孤独に立ち尽くしていた。  具合が悪いのだろうか。心配になり、声をかけようとしたところで思わず息が詰まった。目の前をよぎる雪の流れが、この一瞬だけスローモーションに見えた。  彼女の長髪が比喩でも何でもなく、銀色に光っていたのだ。氷雨の如く流れる髪には色素がなく、天鵞絨と見紛う程の光沢を放っていた。一瞬老婆かと思ったものの、その艶やかで白い肌が見えた途端、すぐに考えが改まる。  歩み寄る道中に立ち止まったところで、女性は顔を上げた。水晶玉を連想する程の透き通った瞳が、真っ直ぐと僕の目の奥を射抜く。極寒で手足の感覚が薄れゆく中で、心臓が氷結するかのように漠然とした痛みを染み込ませていく。  意識を氷結させる程の容姿。  寒さを忘れさせる程の薄い防備。  彼女はきっと、今を密かに生きる雪女の末裔なのだろうと信じて疑わなかった。 「……大丈夫ですか?」  段々と取り戻しつつある意識の中で、僕はちょうど開いていた傘を彼女の頭上に差し出した。恐らく寒さに耐性のある雪女にとっては無意味な行為なのだろうと自覚しながら、何故かそうしなければ気が済まなかった。 「どこか具合が悪いのですか」  しばらく呆然とこちらを見つめた末に、雪女は静かに首を振った。彼女の目元が微かに赤く腫れている。喧嘩別れでもしたのか、はたまた勤務先で虐めにでも遭ったのか。過剰なまでの憶測が僕の脳内を次々とよぎった。 「……もし良ければ、うちで休んでいきませんか。ここじゃ身体を壊します。せめてこの吹雪を凌げるところに」  言いかけてから疑念が頭の隅に浮かび上がる。急に軟派みたいなことを言い出して、軽蔑されないだろうか。推し量るに、相手は二十代半ばぐらいだ。警戒はおろか、下手なことをすれば警察だって呼びかねない。  紡ぐべき言葉が詰まり混乱する最中、雪女は緩慢な速度で首を縦に振り、固く閉ざされた唇を丁寧に動かした。 「……宜しく、お願いします」  小さな鈴が転がるような、美しい声音。一瞬だけ脳内が空白で満たされた後に、ようやく僕も慌てて頷き返す。雄叫びを上げていたはずの吹雪が、俄かに静寂を覚える程まで勢いを弱めていた。
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