別れ。そして邂逅。

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別れ。そして邂逅。

「雨月っ……!」  紫陽は手を伸ばそうとした。が、輝夜の氷の様な手がそれを遮る。 「黙って見ておれ」  ぴしゃりと冷たく言い放つ輝夜の雰囲気に押され、紫陽は口を閉じた。 「じゃ、始めようか」  焔の一言を機に、場の空気が変わる。肌に突き刺さるような刺々しさ。  ぼっという音と共に、焔の両手に炎が宿る。そしてそのまま明に殴りかかった。 「ゆっくり雨月を嬲りたいからね……!」 「……そうはいきませんよ」  すっと身をかわすと、明は雨月に向かって刀を振る。 「侍の精神は一対一じゃないのかよ」  焔がむすっとした表情で口を開く。しかし明は気にもせず、雨月と対峙する。 「片牙で短い生を過ごすより、一息に今、終わらせて上げましょう」  雨月はすっと目を閉じる。次に開いた時、瞳は紫色に輝いていた。 「動くな」  明は目を隠す間も無く、雨月の目を真正面から見てしまう。ぴたり、と明の動きが止まった。 「でかした、雨月」  明の背後から、焔が笑む。そして炎をまとった拳が明に向かって繰り出され…… 「残念ですが効きません」  すっと半身を逸らして焔の攻撃を避ける。拳は、明の左を掠めた。チリッと、数本の髪と包帯が焦げる。そしてはらりと包帯が解けて現れたのは…… 「そこまでして僕たちを滅ぼしたいわけ?」  焔が歪な笑みを浮かべる。明の左目は、黄土色に染まっていた。 「うそ……明さんも吸血鬼に……?」  紫陽は口元に手を当て、震える声で呟く。そんな紫陽を横目に見て、輝夜は口を開いた。 「吸血鬼にはしておらぬ。ただ、少しだけ力を与えてやっただけよ。奴の熱気に当てられてな」  そう言って「くっくっ」と笑う。 「もう一族に戻れなくなっても、私はお前たちと始祖を倒します」  目にも止まらぬ速さで、明が刀を横なぎに払う。 「くっ……!」  焔の腹部に赤い線が走った。武士の切腹の様に真一文字に。  両拳の炎が消え、焔はがっくり膝をつく。しかしそれでも明を睨み付けた。 「力が出せないでしょう。無理に使えば死期を早めるだけですよ」 「さて」と明は雨月に向き直る。 「次は貴方です。手こずらせないで下さいね」  雨月は黙って眉を寄せた。そこへ明の刀。袈裟形に振り下ろされたそれは空を切る。 「変化の術ですか」  蝙蝠となって浮かぶ雨月に視線を向け、苦々しく明は呟いた。対して雨月は、羽を動かし紫陽に近付く。が、輝夜がすっと紫陽の前に立ち、進路を塞いだ。 「逃げるのか? 雨月。全てを捨てて」 「……違う」  輝夜の脇を通り抜け、雨月は紫陽の肩にとまった。 「守るんだ」  蝙蝠の姿から人へと戻る。それは紫陽を抱き締める形。 「守って紫陽を逃がすのか」  輝夜は目を細めて微笑む。まるで、成長した子を見つめる母の様である。だが、紅い唇は残酷な言葉を紡ぎ出した。 「しかしお前の命はもう短い」  ぐっと紫陽を抱き締める腕に力がこもる。 「変化するだけでも辛くなっているのであろう?」  紫陽は、雨月の顔を見ようと身じろぐ。しかしそうさせまいと、より強く抱き寄せられ、雨月の肩に顔を埋める形になってしまう。 「それでも、今度こそ守りたい」 「残念ですが、それは私が引き継がせていただきます」  衝撃。雨月が歯を食いしばる音。そして鼻が嗅ぎ取ったのは血の匂い…… 「う、雨月。体を離して」  紫陽の声が震える。  まさか。まさか……! 「雨月っ!」  焔の叫びが聞こえた。 「雨月よ……」  輝夜の静かな声。  明の激しい息遣い。  紫陽は、恐る恐る雨月の背中に手を伸ばした。指先にぬるりとした感触。思わずびくりと手を引く。 「すぐ塵になると思いましたが……結構しぶといですね」  明が再び刀を構える気配がした。 「嫌っ……!」  紫陽は、力の限り雨月の腕から逃れた。そして目にしたのは、背が赤く染まった雨月のシャツと。刀を上段に構えた明の姿。  咄嗟に紫陽は、雨月の背を守る様に立った。 「どいて下さい」  明の冷たい言葉に、紫陽は両手を広げぶんぶんと首を振る。 「紫陽さんも死にたいのですか?」  ギッと明の目が険しくなり、刀を握る手に力が込められた。 「死にたくない。雨月と生きていきたいだけよ」  紫陽は怯む事無く、真っ直ぐに明の目を見てそう言った時だった。 「きな臭いな」  輝夜が、鼻に皺を寄せて口を開いた。  そう言われれば、確かに鼻につく異臭が漂っている。 「……火の気配だ」  出血のせいだろう。青白い顔で焔が呟く。  それとともに、外から「火事だ!」と言う声が上がり始めた。  紫陽は背後を振り返った。微かに赤く染まった夜空。どうやら一階が火元らしい。煙の量からして、まだそんなに延焼はしていないようだ。 「みんなを逃がさなくちゃ!」  明の横を通り過ぎ、紫陽は襖に手を掛け、引き開けようとした。 「さようなら、雨月」  ドスッという音。  紫陽は振り返った。目を見開く。 「人とは、ここまで非情になれるものか」  口から一筋の血を零し、輝夜が微笑む。その胸には刀。 「他の人を助けるよりも、己の目的優先とは……吸血鬼よりも化け物ぞ」  輝夜が明に向かって手をかざす。すると掌から光が迸り、その光に打たれた明の体は後方に跳ね飛ばされた。  輝夜は自身の胸元から刀を抜き取ると、ガランと放り投げる。 「何を呆けておる。皆を助けるのではないのか?」  紫陽ははっと我に返り襖を開けた。途端に熱気と黒煙が紫陽を襲う。 「みんなっ! 椿っ!」  咳込みながらも足を踏み出し、隣の襖を開ける。中には、すやすやと眠っている椿の姿。 「椿、起きてっ! 逃げなくちゃ!」  揺さぶるが、一向に目を覚ます気配が無い。紫陽は向かいの襖を開けた。その部屋にも眠る遊女。椿と同じく、起きる気配が無い。 「どうして!? ねえ、起きて!」 「無駄だよ。僕の力で眠ってるからね」 「だったら早く起こして!」  背後に立つ焔に、紫陽は半ば怒鳴るようにそう言う。しかし返答は素っ気なかった。 「無理。それだけの力が、今は無いから」 「そんな……じゃあ……っ!」  紫陽は遊女の半身を抱き起し、そのまま立ち上がろうとするも、意識の無い人間の重みと着物の重さによろけてしまう。 「放っておけばいいじゃん。ここが燃えると、紫陽ちゃんは自由になるんだよ?」 「みんなを見捨てて得る自由なんていらないわ」  その時、ごうっという音と共に、階段の方から火が走ってきた。 「きゃあっ!」  尻もちをつきそうになった紫陽の体が、ふわっと軽くなる。 「雨月……」  紫陽を抱きかかえた雨月は、静かに紫陽を見下ろしている。紫陽は開きかけた口を閉じた。雨月に助けを求めるなど、出来るはずがない。 「本当に遊女の鑑だな」 「ふっ」と雨月が笑む。 「雨月……駄目よ」  その笑みの中に、覚悟を感じ取った紫陽は腕を掴む。 「雨月。力を使えばどうなるか、分かってるよね?」  焔も眉を寄せて問う。その間にも、火は勢力を広げてくる。 「人の血を吸って生きてきた。その罪滅ぼしになるかは分からないが、最期は人を助けたい」 「雨月。私は最初から助けられてきたわ!」  熱風が吹き付ける。紫陽の肌は、ヒリヒリと痛みを訴え始めている。 「与えられた運命を受け入れて、それを恥じる事無く生きている紫陽は美しい。手助けしたくなるほどに」 「雨月、僕は先に脱出させてもらうよ。二人仲良く心中でもしちゃいな」  焔はそう言うと、ふらつく足取りで障子に近寄り、半ば倒れ込むように外へと身を躍らせた。外から野次馬の悲鳴が聞こえる。  雨月の足も、障子に向かって動き出す。 「紫陽には生きていて欲しい。人間として、強く、前を向いて」  今まで紫陽が見た事が無い、雨月の優しい笑み。 「雨月……好き。私は……っ」  覚悟を決めた雨月は揺るがない。分かっているが、紫陽は告げる。その頬を一粒の涙が流れた。  すっと雨月の瞳が紫に変わる。 「効かないんだから。私は雨月の『番』なんだから……」  しかし、段々と紫陽の瞼は重くなってきた。 「どうして……?」 「輝夜から少しだけ力を貰った。さあ、おやすみ紫陽」  紫陽の瞼が閉じる寸前、雨月の唇が紫陽のそれと重なった。 「俺も、いつしか紫陽に惹かれていた。一日中共にいられなかったのが残念だ」  紫陽の視界も意識も、暗闇に包まれた。 「好きだ。来世で会おう」
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