大江山の鬼

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大江山の鬼

 夕刻を告げるカラスの鳴き声で目が覚めた。障子が開けられており、橙色に染まった空を鳥の群れが飛んでいく。他の遊女たちも起きだしたようで、控えめな物音が聞こえてくる。  紫陽(しよう)は上体を起こして首をめぐらす。雨月(うげつ)の姿はなかった。  はっと首筋に手を伸ばすが新しい吸血の跡はなく、ほっと胸をなでおろす。  そうしていると、ふすまの前に人が座る気配がした。そして「(あきら)です」と落ち着いた声。馴染みの髪結いである。  紫陽は慌てて布団をたたむと鏡台の前に座り、どうぞと答えた。  すっとふすまが開かれ明が入ってくる。紫陽はこの時間が好きである。  静かに優しく髪に触れる、男にしては繊細な指。その指がふと止まった。 「どうかしました?」  鏡越しに問いかける。 「首筋に……」  ドキリと紫陽の心臓が跳ねる。  普通、髪結いの仕事をしている者は遊女の体については口にしない。それは明も知っているし普段は言わない。  という事は、明も血を失った遊女のことを知っているのだろう。 「ああ、虫刺されです」  一つしかないでしょう? と首筋に手をやりながら言う。 「知ってらっしゃるんですか」  意外だという声音。 「遊女たちが怖がらないよう、公にはされてないのですが……」 「偶然行商人から聞いたの」 「そうですか」と答え、再び指を動かす。 「それにしても本当になんなのでしょうね。流行病なのか、新種の虫なのか。人だとしたらさらに恐ろしいですね」  紫陽は言葉に引っかかるものを感じた。 「流行病?」  そう。流行っているというのだ。 「私が聞いた話だと吉原の遊女だけだと……」 「亡くなったのはその方だけです。が、ほかにも同じような跡がある遊女たちが貧血で倒れていて」  吉原の遊女たちばかりがそうなっているので、中には吉原から出たいと女将に訴える者もいるそうだ。 「しかし病や虫だとしたら、そのうち外にも広まりそうですね」 「だから十分気を付けてください」と付け加え、最後にぽんと肩に手を置く。 「出来ました」  紫陽は首を動かし左右を確認すると礼を述べた。 「では失礼いたします」  来た時と同じように廊下に座って頭を下げ、その姿がふすまによって遮られた。と同時に、紫陽の背後に気配が立った。 「誰っ!?」  ばっと振り返ると、そこには雨月の姿。 「雨月……いつの間に?」 「障子を閉められていなくてよかったよ」  ふぅと息をつき、雨月は首を回す。 「どうやって入ってきたの?」 「変化して」  あまりにもさらっと答えが返ってきたので、紫陽は聞き流してしまうところだった。 「変化?」  雨月は「そう」と頷く。すると雨月の体が黒い霧のようなものに覆われる。  紫陽が目を見張っていると、霧が薄れていき、雨月の代わりに一匹の蝙蝠が現れた。 「あの蝙蝠!」  指さし、大きな声で言ってから慌てて口を押える。  するとまたしても霧が出てきて、晴れると雨月の姿があった。 「どういうからくりなの?」  ばっと身を乗り出して紫陽が問うと、遠くを見るような眼差しになり、「二百年生きてたら、いつの間にか出来るようになっていた」と暗い笑みを浮かべた。 「……今夜、貴方の話を聞かせてくれるって言ったわね」 「ああ」  雨月が頷いた時である。 「あと少しで夜見世が始まります。皆様準備の方、よろしくお願いいたします」  階下から下男の声が響いてきた。  紫陽は口元をきゅっと結ぶと一度目を閉じ、 「今から仕事でございます。すぐに出て行って下さいまし」  と雨月に告げ、豪華な打掛に手を通す。 「俺の話には興味が無い?」 「ええ。私は遊女です。金を払わない客など相手にはできません」  きっぱりと言い、雨月に背を向け紅を引くとすっと立ち上がる。 「吸血鬼よりお金か」  そう言って、雨月は自嘲気味に笑う。 「君は遊女の鑑だな」  肩越しに振り返ると、紫陽は「当たり前でございます」と冷たく言い放ち廊下へ進み出た。
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