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教室にて。
その冬の日は、やけに雲が厚くかかっていた。放課後の教室で、私は一人帰り支度をしていた。図書室で本を探していたら遅くなってしまった。時刻は午後四時を過ぎている。両親は共働きだから多少遅く帰っても心配はされない。ただ、先生に見付かると早く帰りなさいと急かされそうで、そういう言葉を掛けられるのは苦手だから慌てて教科書とノートをランドセルに詰め込んでいた。
……本音を言うと、放課後の学校に一人でいるとお化けに遭遇しそうでちょっぴり怖かった。いくら私達の住んでいる島が本州に比べて西南に位置しているとはいえ、冬の日は短い。暗くなったら怖い。もう五年生だから表立っては言えないけど。
支度が整い、さあ帰ろうと立ち上がった瞬間。あ、と大きな声が響いた。驚き身を竦める。誰もいないと思っていたから。振り返ると、教室の入口に男の子が立っていた。
「中森君」
半ば無意識に名前を呼ぶ。ジャンパーを羽織った彼は目を丸くして此方を見詰めた。
「びっくりした。恵美ちゃん、まだ残っていたの? 帰りの会が終わってからもう一時間半も経っているよ」
唐突に名前を呼ばれて鼓動が高鳴る。ほとんど口をきいたことも無いのに。
ぎこちなく首を振り、図書室にいたの、と小声で応じる。普段、男子とはあまり話さない。ましてや、中森君みたいなクラスの人気者を前にしたら緊張するのも当然だ。
「一時間半も? 本を探していたの?」
意外とぐいぐい来る。うん、と俯きがちに頷いた。
「何の本?」
此方の気も知らず、よく話し掛けてくる。半ば観念して、ランドセルから文語本を取り出した。その本に積み重なった年月は、表紙や頁を色褪せさせていた。童話集、と中森君が読み上げる。
「好きなの、海外の童話。特に昔の訳本だとね、言葉も古めかしくて不思議と入り込めるんだ」
そう言いながら本を渡す。すぐに開き、ふんふん、と頷きながら彼はページを捲った。
「教科書と全然違う言葉遣いだね。読み辛くない?」
「癖が強いから慣れるまでは気になるかも」
「恵美ちゃん、凄いね。大人だ大人。俺なんて漫画しか読まないもん。今日もこっそり漫画を持ってきて、引き出しに忘れたから急いで取りに帰って来たんだ」
彼はそう言って童話集を私に返した。小走りに自分の机へ向かい、漫画を取り出し鞄に仕舞う。
「駄目だよ、学校に持ってきたら」
私の指摘に、そうだよね、と頭を掻いた。
「どうせ持ってきても教室じゃ読めないし、もし先生に見付かったら怒られる。じゃあ何で俺は持ってきたんだ? それも毎日密かにさ」
首を捻る彼の様子に思わず吹き出した。
「知らないよ」
「俺にもわかんない」
中森君もいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「明日からは持って来るの、やめるかぁ。意味わかんないもんね」
「毎日、続けていたのに?」
その継続にも意味はあったのかな。
「うん。もう持ってこない」
じゃあ、今日まで持ち込んでいたのは私と君だけの秘密だね。そんな考えが頭を過り、照れ臭くなる。とてもじゃないけど口には出せない。
「さ、帰ろうっと。なんか雨降りそうだし。俺、濡れるの嫌いなんだ。恵美ちゃんももう帰るよね? 一緒に行こう」
誘われて鼓動が早くなる。いいのかな、私なんかが隣にいて。そう思った頃には既に彼は教室を出ていた。
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