腹ごしらえ

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腹ごしらえ

 剣と魔法、他にも様々な技術が織りなす幻想世界、どこかで何かが生まれてはどこかで何かが消えていく…  誰もが何かしらを元手に資源を得てはそれを消費し生きていく。  腹が減っては生きてはいけぬ…ときに例外はあるだろうが、空腹を満たすための食事を必要とする者がほとんどだ。  食事を疎かにしていてはいざという時に本領を発揮できることはなく、失敗が重なってしまうことが多々起こり得る。  そういった事態に陥らないようにするにはどうするべきか、答えは至って単純明快、英気を養えばいい。  手段は人によって様々だ、食材を調達し時間を設けて自分で調理する者も居れば対価を払って誰かに用意してもらう者もいる。  拠点を構え調理器具を一通り用意し思い思いの料理を作る…というのは多くの冒険者にとっては縁遠いことであろう。  冒険者にとって拠点を構えるということは、そこを活動の中心地とし行動に幾らかの制限が発生するため大所帯にならない限りは宿を借り、各地を転々とする者が多い。  はてさて、少々話が逸れそうになりはしたが、ともあれ多くの冒険者がどのようにして腹を満たすかというかと言うことに話題を戻すとしよう。  拠点を構えない者にとっての食事とは主に二つとなる。  簡素な食料をを買い腹に入れるか、食事処で料理を注文しそれをいただくかであり、今回は後者となる。  一人の青年が食事処の扉を開き店に入る。  店内には扉に吊るされた鈴が鳴り、来訪者の存在を告げる。 「いらっしゃいませ~、お一人でしょうか?」  給仕の女性がそう尋ね、青年は軽く頷いた。 「わっかりました!空いてる席でお待ちくださいっ!」  「ビシッ」と音が出そうなキレのある動きでカウンターの方をさされる。  その姿を見て思わず笑みが零れるが「他の人にはちゃんと対応しなよ」と軽く釘を刺すやりとりが小気味よく広がった。  彼はここで食事を取ることが多く、好んでカウンターに座るため覚えられ、もはや挨拶に近いやりとりとなっているのである。  カウンターの一席に身を下ろし、給仕の女性が注文を取りに来ると「お任せで」と言って注文を済ませると、彼女は親指を「グッ」と立て調理場へと入って行った。  軽く目を閉じると程なくして金属音が聞こえるが、その後に聞こえてくる呻き声は気にしないでおこうと心に決める。  「あうぅ…」と涙交じりの声を出しながらホールに戻ってくる彼女を見るのは何度目になるだろうかと考えつつも思わず苦笑いを浮かべてしまう。 「次からは気をつけようね…」 とフォローを入れてはみるが 「でも常連さんなんですよ、少しくらいいいじゃないですか!」 と勢い良く言い寄られる。  気勢に押されて少したじろいでしまうが、新たな来訪者を告げる鈴の音が鳴り響き視線がそちらへ向くと 「いらっしゃいませ!」 と彼女の元気な声が店内に響き、軽くお辞儀をした後に新しく訪れた一党への対応に向かった。  ちゃんとしていれば怒られることはないのにと思いはするが、調理が始まったことを知らせるように香気が漂い始めそちらに意識を奪われる。  熱されたフライパンに落とされた油が小気味よく爆ぜる音が聞こえ、程なくして肉の焼ける匂いが鼻孔をくすぐる。  それに加え香辛料の香りが混ざり食欲を搔き立てていく。  更にダメ押しと言わんばかりにパンとスープを温める気配が立ち昇り、腹の虫が「今か、今か!」と責め立ててくる。  抗い難い空腹に苛まれるものの、彼はこの時間を楽しみたいが為にカウンターに身を寄せるのである。  しばらくして音が止み、足音と共に恰幅の良い男が現れ順に 「パンと肉とスープ、お待ちどおさん」 と言いながら手際よく並べ「あとサラダね」と置き終わり、本日の夕餉が出揃う。  入れ替わりに給仕の者が調理場に入り、注文を伝える声が聞こえるがそれはもはや別の話、今は眼前に広がる糧を得ることこそが急務なのである。  眼前に置かれたことで更に空腹が刺激され、もはや警鐘といってもいいほどに意識が料理へと収束する。  震えて落とさないように気をつけ、ナイフとフォークを手に取り、肉を切り分け口へと運ぶ 「っっっ!」 口内へと隠された肉は噛みしめる度に肉汁が溢れ、味を調えるために使われた薬味と共に旨味が舌を満たしていく。  次に色よく焼きあがったパンを丁度いい大きさにちぎり口の中に放り込む。 嚙むたびに小麦の甘みが広がり肉料理の塩気を和らげ、小気味よい音が耳を楽しませてくれる。  そこへスープを流し込むと肉の時とは違った旨味と塩気、そして香りが胃の奥から鼻先へと抜けていく。  青臭さはあるものの、合間にサラダを食べることで程よく食事が進むいい塩梅である。  味を楽しみつつ食事を進めていくと、腹が満たされる頃には皿の上は空になっていった。 「ふぅ…」と思わず息が漏れてしまった。  水を飲み、少し落ち着いた頃に財布を用意する。  通い慣れた店だからか、店主が丁度顔を覗かせた。  財布から硬貨を数枚取り出し、慣れた手つきでカウンターに並べ、それを店主が受け取ると「まいどあり」と言ってニッと笑った。  足音を響かせながら奥へ行く姿を見やりつつ席を立つと、給仕の子が気付き軽く頭を下げたので、小さく手を振り日常の一部にもなりつつあるやり取りを交わし店を出る。  店を出ると日が傾き、辺りは少し暗くなっていた。  大通りには街灯に火を灯して廻る者と、ランタンを持って廻る者、それぞれの職務をこなす衛兵の姿が見受けられた。  そういった夜の訪れを眺めつつ、彼は今晩の寝床である宿に歩を進めるために足を動かす。  やるべきことを終え、食事を取り、明日の支度を整え布団に潜ればあとはただ眠るのみ、そうして彼の一日は廻っていく。  彼がいったい何をしたのかって?  それはもちろん冒険者ですので依頼をこなし、冒険者ギルドで報酬を受け取り、それを元手に日々を暮らしているのです。  ですが依頼は種々様々であり、それはまた別の話。  此度の一幕はこれにて終了、夢の世界へおさらばです。  それでは、良き一日を…
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