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⑨浜風帆さん
その言葉を聞いて、動かぬ私の顔もフッと緩んだ気がした。
「さあ」と言って梅子が私を抱いて歩き始めた時、凄まじい轟音と共に部屋が波打つように歪んだ。刹那、窓の外に閃光が走り、窓が、いや館全体が砕けるような強烈な稲妻が部屋に落ちた。吹き飛んだ私は壁にぶつかり、転がり、また木製の床にペタンと座らされる。
ハッと視界を確認すると、梅子は部屋の中、まるで稲光に絡め取られたように、光に包まれ宙に浮いていた。薄紅色の着物は焼け焦げ、体からは漆黒の闇がポタポタと滴り落ちていた。苦痛で歪んだその顔は人の形をとどめていない。
梅子ちゃん!
「無駄な抵抗はやめた方がいい」
梅子の返事の代わりに返ってきたのは、あの魔道士の声だった。カツカツと木製の床を歩く足音が近づいてくる。
「聖遺物の銀弾を床に配した魔法陣。封印が私の専門だ」
私は自分の前に落ちている銀製の弾を見つめた。そして、そこから五芒星の形に配された弾が起点となって、鈍い光が鮮やかな模様を描き出していた。
「無駄撃ちはしないよ。計算済みだ。まさか私が瞬時に鳩にされるとは思わなかったがね。これでも体に結界を施してたのに、なんとも恐ろしい魔力だ」
梅子ちゃんを離して!
「東洋の人よ。騙されるではない。この人ならざるものの姿を見れば分かるであろう。こんな化け物がいては世の理が潰れていく」
梅子ちゃんを離して!!
マリアンナの為? でも、彼女は……
「ああ、マリアンナは残念だ。本当に残念だ。あんなに魔力を持った従順でいい子が…… 助けられなくて残念だ」
男はそう言うと、私を乱暴につかんだ。男の表情が変わる。
「でもまあ、そうだな、また契約すればいい。君なんて良さそうじゃないか、梅子にみそめられる程だ、相当な力を持ってるんだろう。あとで体に戻してやる」
「は〜な〜せ〜!」梅子の口から地を這うような声が出た。
男が私を投げ捨てる。
私は回転し今度は床に横になった。目の前にはあの銀弾が転がっていた。
これだ、この弾さえどかせば……
しかし、どんなに頑張っても身動きひとつできぬ私には、この1cmに満たぬ距離が果てしなく遠かった。もがいてもがいても、微かな動きさえおきない。
その間にも男は、梅子を追い詰めていく。
両手を合わせ印を結ぶ。
「終わりだ、闇の底で永遠の眠りにつくがいい」
やめて!
「まだ言うか? 君は人だろう。化け物と人間とどっちを選ぶのだ。返答によっては、君の処分も考えねばならない。それが我らの仕事。人を選ぶなら私がお前を戻してやろう」
私は……
……
梅子ちゃんといたいの!
梅子は大きな咆哮をあげると全身を震わせ髪を振り乱した。その時、何か小さなものが落ちた。コトッと音がして私の前に転がる。梅の髪飾りだった。
「かえ、す……ね」
いやだ! 諦めないで!!
……え? かえす?
その瞬間、私の脳裏にはっきりとした記憶が蘇った。
○
おばさんのうちだ、おばさんのうちに来て間もなかった頃、私は梅子そっくりの人形にあった。
「どうして、そんなに悲しそうにしてるの? 大丈夫、強く願えば願いは叶うから」私は、寂しかった時に、おばさんから言われた言葉を、そのままその人形にかけた。そして、やっぱり同じようにもらった、おばさんとお揃いの子供用の髪飾りを、その人形につけたのだ。「魔法ごっこやろうか。あなた魔女ね」私はその子にそう言った。
○
動け!
私は髪飾りを見つめ強く念じた。
動け、髪飾り!
私には力があるんでしょ!
強く願えば叶うんでしょ!
動けーーー!!
髪飾りがズリズリと動く。そして銀製の弾にぶつかった。
「なんだと、馬鹿なやめろ!」
男の悲鳴のような声をかき消すように、私は全ての力を梅の髪飾りに注ぎ込んだ。それは、留金が急に外れたように回転し銀弾を弾き飛ばした。
封印の魔法陣が歪む。
男は慌てて弾き飛んだ銀弾を拾うと戻そうとした。だが、それよりも早く、梅子が動いた。まるでマリアンナに時と同じように、こぼれ落ちた闇の粒が梅子の周りをグルグルと周る。黒く朽ち果てかけた梅の花びらだった。花びらが渦を巻きながらまるで生き物のように男に襲いかかった。
「やめろ!」
男は闇に飲み込まれ床にゆっくりめり込んでいく。その手は銀弾をつかみ、私の方へと伸ばされていた。
「早く銀の弾を戻せ! まだ間に合う急げ!」
「う、る、さ、い! 黙れ!」
梅子は、そう叫ぶと体を崩壊させながら私に近づいて来た。
男が梅子の後ろで喚く。
「魔力を吸い取られるぞ。早く、早くー」
私はここで梅子に吸い込まれてしまうのだろうか……
必死に近づいてくる崩れゆく人ならざるものを見た。
それでもいい。私は動かなかった。
──梅子ちゃん、私帰りたい。一緒に帰れないかな。
私に、崩れゆく梅子の腕が伸びる。
「わ、かってる」
私は闇にそっと持ち上げられた。
「じかん、が、ない。わたし、には、もう、ちか、らが」
梅子の闇は、私を抱えゆっくりと部屋を出た。
梅子の力が無くなったからか、部屋から出たからか、それとも何か他の影響なのかはわからなかったけど、私は意識を保てなくなった。でも、梅子は私を助けようとしてくれているは分かったから、私は安心してその闇に身を委ねた。意識が消えて行こうとも怖くなかった。
消えゆく意識の中、遠くで男の断末魔が微かに聞こえていた。
○
気がつくと私は病室のベットで寝ていた。
「佳純!」
お母さんが私に抱きついた。
あ、お母さんの匂いだ。そして、手に落ちた涙の雫は冷たかったけど、私の心には温く静かに震えた。……戻ってきた。
私は雪の日に事故に遭ったらしい。大きな怪我はしなかったものの、意識を失いそのまま。
……夢?
そんな私の考えは瞬時に消えた。それは、ベット脇の床頭台に、あの小さな梅の髪飾りが置いてあったから。そして、その横に黒く朽ち果てた梅の花びらが……
「あなたが、ギュッと握り締めて離さなかったのよ」
「梅子ちゃんは?」
「誰?」
お母さんは、何も知らなかった。話しても悪い夢でも見てたのねと言われて終わってしまった。
悪い夢。
ううん。悪い夢じゃない。私にとっては悪い夢じゃなかった。
○
あれから1年の時が過ぎた。
学校での辛いことは相変わらずだったけど、受験が終わってから、またバイトを始め彼氏ができた。マックのことをマクドと呼ぶ関西の彼だ。フフッ、何とか私は生きている。
──ね、私も頑張るから一緒に頑張ろうね。
私は、バイトに行く途中で見つけた小さな梅の花に声をかけた。柔らかそうな薄紅色の梅花。そこに雪の結晶が落ちた。空を見上げると雪が降ってきていた。そうだ、あの日も雪で……
──頑張るね。私。
そう呟いて、私はバイトへと急いだ。
○
マック、マクド? のクルーとしてカウターに立ち接客をする。フッと目をあげると外では本格的に雪が降り始めていた。あの日のことを思い出す。
「ハッピーセット」
と不意に声をかけられ、ハッとした。
「失礼しました。ハッピーセットですね?」
私は声の主、お母さんに連れられた小さな女の子に丁寧に聞き返した。
ニコッと笑顔になる暇もなく、目が釘付けになる。それは、その女の子が抱きかかえていたのが、まるで持ち運ぶには適してないフランス人形だったからだ。ピンクのドレスのようなふりふりの服。金色の不自然なふんわりした髪。そして、青いガラス玉の瞳と目があった。
「ハッピーセット」
あっ!
「お母さん、またこの子しゃべったよ」
「馬 鹿なこと言わないの、ハッピーセットね」
「うん、そうだけど……」
小さな女の子は相手にされずムスッとしながら人形をカウンターに置いて、ハッピーセットのおもちゃを眺めた。
「梅子、ちゃん?」
私は、隙を見て人形にそっと聞いた。
「私、魔女のフルール ドゥ プリュニエール。どう凄いでしょ」
「えっ?」
私は、そこでまた接客に戻らなくては行けなかった。小さな女の子はフランス人形を抱え、席へと遠ざかっていく。小さな女の子の肩越しに見えた人形の口が小さく動き「佳純はもう大丈夫」と聞こえたような気がした。
うん。と呟いた私の周りには、何故か柔らかな梅の香りが漂っていた。
Fin
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