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⑦あかつき草子さん
床にはマリアンナ人形が転がっている。足を天井に向けた不様な格好だ。梅子はマリアンナを拾い上げると、足を真っ直ぐに伸ばしてやった。
「さあ、あなたを縛る鎖はもう無いわ。楽になれるの」
梅子がマリアンナをぎゅっと抱きしめると、その身体は月のような銀の光を帯びた。ゆっくりとうずくまるうちに、光は更に強くなっていく。
――ありがとう。
頭の中に、安らかな声が響いた。
すると着物の下から小さくて白く丸い物がいくつも飛び出し、やがて身体の周りをぐるぐると回り始めた。梅の花びらだった。
梅子が立ち上がると、マリアンナの姿は無かった。花びらは部屋の中で大きく渦を巻いている。梅子が窓を開けると、花びらは解き放たれたとばかりに奔流となり出ていった。
夜明け前のオレンジ色の空の下、散り散りになってしまっただろう。
「次は、佳純ちゃんの番よ」
私の番?
目の前で起こったことがもう一度?
確か、マリアンナは戻りたくないと言っていたはず。
魂は? どうなったの?
マリアンナと同じことをしたら、元に戻れなくなるのではと、不安が一気に恐怖に変わる。無いはずの心臓が縮む思いがした。
体はどうなってるの? 隣の部屋にあるのよね? 傷だらけなの?
「大丈夫。あたしにまかせて」
梅子が近付いてくるが、後ずさることもかなわない。抱き上げられるがままになる。
信じていいのよね?
梅子ちゃんは私を助けてくれたはず。
「そうよ。あたしは佳純ちゃんを助けたの。だって辛かったんでしょう? 学校でだって家でだって」
私には父がいない。
母は、若い時に私を産んで育ててくれた。
「お母さんは、酷いことを言うんでしょう?」
違うわ。お酒を飲んだ時だけよ。いつもは優しいの。
「そういう時こそ本音が出るんじゃないかな」
――あんたなんか産まなきゃよかった。あそこから人生が狂い出したのよ。
母のお荷物だったのだとわかり、ショックを受けた。
私は自分の存在を消したかった。
「佳純ちゃんの思いを感じて来たのよ。私を永らえさせてくれるありがたい人間がいるって」
永らえさせる?
じゃあ、紳士が言っていたことは本当だったんだ。
まさか、事故に遭ったのも?
「そう。私が仕組んだの。だから言ってるでしょ。私は魔女だって」
けれどあの梅の髪飾りに見覚えがあったのだ。あれは……
「大好きだった恵子おばさんのよ」
母の妹の恵子さんは、祖母と田舎で暮らしていた。梅の木が何本もあって、花が咲くと霞がかかったように見えた。小学校の一時期、そこに預けられたことがあった。梅の実が生ると、祖母と恵子さんといっしょに、梅干しや梅酒を作った。穏やかな時間だった。
「いつでも、おいで。ここはあんたのふるさとなんやから」
そう言ってくれていたのに。数年前火事になり、二人とも亡くなってしまった。
「向こうにはおばあちゃんも恵子おばさんもいるわ」
そうか。二人が待っているのね。
「何も心配ないの。もう悩むことはないのよ」
梅子の瞳がキラリと光る。口元に薄笑いが浮かんだ。
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