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寒い……
今日はホワイトデーの前夜で、
暖かい気温の筈だった。
気温が低いわけではない。
わかってる。
だって、あの春からずっと寒いのだ。
仕方ない。
拓海がいなくなったあの日から、
私はずっと、底冷えする寒さを感じていた。
円城寺拓海。
ある日ずぶ濡れになっていた彼とであった。
雨の中、何をしてるのかと思ったら、
同じくずぶ濡れの猫を撫でていた。
両腕で、雨から守るように。
だから、ふたりを傘に入れてあげた。
と、猫は急にかざされた傘に驚いたのか、逃げてしまった。
『ごめん、猫逃げちゃったね』
申し訳なさそうに言うと、拓海は。
少年は。
『ううん。傘、いれてくれてありがとう。
でも、あの猫大丈夫かな。生きていけるかな』
……辛い想いするなら、殺してあげればよかった。
拓海は、まだあどけなさの残る顔で、そんな風に言った。
高校生だという拓海を、部屋に招くのは多少気がひけた。女の一人暮らしだ。あまりに警戒心がないし、なにより拓海になんて思われるかが怖かった。
例えば私が襲われたりしても、後悔はなかった。
何故かと言うと、拓海は酷く美しい少年で、誰もが憧れる美貌とオーラを持っていた。
一目見た瞬間、恋に落ちるくらい。
つまり私は、もう拓海に恋していた。
帰って風呂を沸かして、
拓海に入るよう促した。
と、
『一緒にはいろ?』
悪魔的な美貌で誘われれば、
断る術はなかった。
それからは拓海の好きなご飯、ゲーム、シャンプーやトリートメント、食器、歯ブラシを与えた。
拓海の言うどんなことにも、逆らうことはできなかった。
一見奴隷のような扱いでも、
私にはご褒美があった。
それは、拓海の温かい体温。
夜、寝る時には必ず2人、おでこをくっつけて寝た。拓海の男にしては細い腕が伸びて来て、髪を撫でる。
どんなご褒美より、それは私に幸福感を与えた。
それから一年近く、一緒にいた。
ところが、ある日、黒服の男たちが訪ねて来て。
『円城寺のご子息をお匿ですね?』
咄嗟に、拓海が円城寺と言う苗字で、どこかの金持ちの息子なのだと悟った。
男たちは、断りもせずに、部屋に土足で踏み入った。
『拓海!』
叫ぶと、
拓海が窓から飛び降りようとしているところだった。
待って!
ここは6階よ?
拓海はこちらを振り向き、
一瞬にやりとわらった。
そしてーーー
あれから2年。
私は毎日この異常な寒さと戦っている。
そして浴槽で、拓海を思い出す。
あの温かな体温を。
我儘で、無邪気なところ。
それから悪魔的な美貌。
猫を、『殺してあげればよかった』と言った、優しげな声。
春の嵐のようなひとだった。
突然やって来て、
全てを奪って去って行った。
拓海の死体は見つかっていない。
目の前のマンションの屋上に、
飛び移ったらしい。
でも、そんなことはどうでもいい。
拓海は2度と帰ってこない。
私のことなど、覚えているいるかも怪しい。
風呂を出て、髪を乾かす。
嗚呼、またすぐ入らなければならなくなるのに、私は何をしているんだろう。
髪をくしゃりと掴んで、無駄にひっぱった。
と、インターフォンがなって、
そういえばウォーターサーバーの水が、今日届くことになっていたことを思い出した。
「はい」
モニターも確認せずに、出た。
と、そこに立っていたのは。
「ただいま、おねーさん」
春の嵐、円城寺拓海。
咄嗟に手を伸ばして、引き寄せる。
抱きしめて、わんわんと泣いた。
この体温。
温かい。
飢えていた体と心が、一気に満たされる。そんな気がした。
春の嵐を、捕まえた。
もう2度と、離さない。
END
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