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「ふふっ! 慣れない音響機器の操作は大変でした。でも、不本意なままキャストを続けて、それで小馬鹿にされるよりはずっとマシ! アンタが役を代わってくれたおかげで、アタシはやっと肩の荷を下ろせた。求めてもいない責任から逃れて、ゆるーく裏方を務めていられた。まさにセンパイ様々、感謝してもし切れませんでしたよ! ……なのに」
「……なのに……何?」
「――ある日を境に、アタシの想い出はアタシのものでなくなった。知覚できないくらいさりげなく、ひっそりと、全くの別物に書き換えられた。明らかに異常事態でしょう? でも、巧妙にでっち上げられた記憶は、疑う余地もなく世界に馴染んでいた。そうして調子に乗った記憶は、次いで確かな記録となり、本物に成り代わってしまった」
「……ああ……それって……」
「……ようやく裏方になれたのに。念願の役職に就けたのにっ! 気付けばアタシはキャストに戻っていたっ! どう考えてもおかしいのに――積み重なった想い出達が、無情にも囁くんです。『お前は最初からキャストだっただろう?』と。……違う、違う、違うっ! アタシはしっかりと覚えているんだっ! あの日窓から差し込んでいた、藍色掛かった薄暮の光を! 木目をつたう血を! 部室を震わす悲鳴を! アタシは確かにこの手で、この手で――うううううあああああっ!」
「後輩」は獣のように野太く呻ると、無造作に生爪を頭皮へ突き立て、破れかぶれに掻き毟り始めた。ハラハラ抜け落ちていく毛髪は、やさぐれた彼女の心の現れだ。期せずして手に入れた幸福、それを知らぬ間に奪い取られたとあっては、込み上げる憎悪は尋常でなかろう。浸食してくる二つ目の現実、目障りな虚実はどこから湧いて出たのか。――一体どんな不届き者が、自分の理想をぶち壊してくれたのか。
「……はあ、はあ……『ダイシ様』の異能は恐ろしいですね。グチャグチャの過去は月日を経るごとに入り乱れ、今やどれを信用して良いのか分からない。でも、アタシには一つだけ、忘れられない場景があるんです。それは、踊り場から見下ろせる地獄の濁流。死と罪と現実を雪ぐ、穢れた雪解け水。――ねえ、センパイ。アンタですよね? 一月前のあの日、アタシの人生を狂わせてくれたのは」
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