本番直前のある日

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 一周回って気が鎮まったのか、「後輩」は無気力に両腕を垂らし、得も言わず哀しげな表情を作る。乾き掛けの唇から溢れ出るのは、清らかに澱んだ弾劾の言葉。ゴテゴテしたレトリックとは対照的に、落ち着いた声色からは素直な印象を受ける。恐らく、これが彼女の本音なのだ。「意識の高さ」だの「重い期待」だの、全てが嘘でもあるまいが――私が雪に乞い願った歪みこそ、「後輩」の殺意の根源なのだ。 「……と言っても、ハナからアンタを疑ってたわけじゃないですよ。幾ら怪しくっても、あくまで状況証拠しか無かったし。それに、『ダイシ様』を頼みにする悪人は多いそうですから。別の人間が起こした現実改変に、たまたま、偶然、巻き込まれただけなのかもしれない。そう思って様子見してたら……程なくでしたねえ。アンタが主役になったのは」 「……へえ……それで……勘付いたんだ……」 「ええ。例の如く、記憶はデタラメに()()ぎされてましたがね。――主役を務めるアンタはいつも、何かに囚われているようでした。ぎこちない演技はまるで、自分以外の誰かをなぞっているみたいで――そのくせ、練習には活き活きと励んでいて。もうねえ、否が応でも分かっちゃいましたよ。『あー。コイツ、成り代わろうとしてやがるなー』って」  ……そうか。(はた)から見て察せられるほどには、私は舞い上がっていたのか。あの頃の私は、自身を特別な存在だと勘違いしていた。自分には自由に未来を決める権利があるのだと、本気で思い込んでいた。……滑稽な話だ。いざ蓋を開けてみると、こんなにも近くに同類がいたのに。結局私は初めから、阿呆な道化に過ぎなかった。   「――まあ、本当に確証を持てたのは、『ダイシ様』を問い詰めた時ですけどね。本人は『守秘義務があるから』とか言ってはぐらかしてましたけど……ヒ、ヒヒッ! 分っかりやすかったなあ! 目が泳ぎまくりで、汗がダラダラ流れてて――でも、ふふっ! そんな貴方も可愛くて素敵ですよ、『ダイシ様』!」 「……」   「後輩」はゆったりと階上を振り仰ぎ、甘ったるい口説き文句を投げ掛ける。魔性気取りの媚びた言動に、私はこの上ない嫌悪を覚え、同時に誤魔化しようのない羨望に呑まれる。何の反応も示さない「ダイシ様」に、不安の視線を向けてしまう。――叶うことなら、私は永遠に騙されていたかった。みっともなくても良い。身の程知らずでも良い。自分は彼の隣に並べる、唯一無二の「主人公(ヒロイン)」なのだと、盲目に信じていたかった。
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