二月某日

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 初めは勘違いだと思ったが、二度三度と目を擦り、端から端までチェックし直しても、一向に現実は変わらない。ふと、「後輩」ちゃんが去り際に残した一言を思い出す。「二人で頑張りましょう」とは、つまりはそういう意味だったのか。点と点が結び付き、何層にも立ち込めていた霧が一瞬で晴れる。けれども同時に、道徳の光では照らせない、落ち窪んだ闇が姿を現す。 「……いやいや、駄目っ! たとえ可能だとしても、それをやったら――」  身体が邪念に蝕まれていくのを感じ、必死に頭を振る。忘れてはならない。私は一度、人の道を外れてしまった。本来なら裁判に掛けられ、然るべき罰を受けねばならない身だ。そこに罪を重ねたなら――明確に自分の意思で、手を汚してしまったなら、いよいよ私は人でなしだ。 「あ、そうだそうだ。お姉ちゃん、自販機にお釣りを忘れてったろう? ちゃんと回収してきなよ、勿体ねーぜ」 「え? あ、うん……そうだね」  少年に促されたのを口実に、辿々しいステップで踊り場を離れる。身体を動かしている間は、気が紛れるからありがたい。仰々しく腿を上げ、馬鹿みたいに両腕を回し、騒々しく自動販売機の前に躍り出る。お釣りの取り出し口に手を突っ込むと、どうやら低温火傷をしていたらしく、掌全体がピリリと滲みる。構わず乱暴に小銭を漁り、鈍った指で枚数を計算するうちに、良からぬ考えが蘇ってくる。 「……ねえ、『ダイシ様』」 「おう、何だ?」 「一つ教えてほしいんだけどさ。――『あの娘』は死んだの? それとも、消えたの?」 「何じゃい、変な質問だなー。まあ、答えは『消えた』だ。冷たい雪と混ざり合って、この世から隠れちまった」 「ふーん。――なるほどね」  ――気付けば私は、掬い上げたばかりの硬貨をまた、投入口に捩じ込んでいた。ほんの数分前と同じように、スイッチが一斉に緑色の光を放つ。早まる鼓動に知らんぷりを決め、震える指先で狙いを定めながら、「救世主」に呼び掛ける。 「ねえ、『ダイシ様』」  無意識に口元が緩む。自分が醜く歪むのを抑えられない。己の未熟さに反吐が出る。脇役相応の三流役者ぶりに、涙まで溢れそうだ。――なのに、際限なく湧いてくる思い出が、今まで歩んできた役者としての軌跡が、私をどうしようもなく突き動かす。入部、新入生歓迎会、一年次の夏大会、自主公演、春の合同発表会、後輩との顔合わせ、二度目の大会――ガコンという二番煎じの音と共に、「私」はとうとう舞台へ上がった。 「もう一人、隠してほしいの」
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