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正面から呼び止められ、やおら上向けていた首を戻す。ハリは無いが迫力のある、嗄れた老爺の声だった。だが実際に確かめてみると、道の真向かいを陣取る人混みは、老若男女様々な者達から成り立っていた。美醜も血筋も関係なく、彼らは皆一様に腹を空かせていた。
げっそり肉がこそげた頬、ぎょろり突き出た虚な目、ぽっこり不自然に膨らんだ腹――まさしく旅僧や歩き巫女が解く、餓鬼道の住人そのものだ。卑しい心の持ち主は死後餓鬼となり、耐え難い飢えと渇きに苛まれる。目の前の連中は、生きながらにして裁きを受け、輪廻の苦難に悶えていた。――報いを受けるいわれもないのに。
腹一杯飯を食いたいと考えるのは罪か。過酷な日々から逃れたいと望むのは罪か。この世はいつだって不公平だ。ささやかな幸福を願う百姓共に、惨い仕打ちをするのだから。お天道様の気まぐれが、善良な人を鬼に変える。
「――そっちは■■の婆の家だ。見掛けぬ顔だが、お前、■■の婆の何だ?」
行列の先頭に立つ老爺が、妙な確信をもって問うてくる。禿頭の見窄らしい年寄りは、これまた見窄らしい杖を構えている。後ろに続く村民達も、鍬だの縄だの鎌だの包丁だの、各々物騒な得物を携えている。子供ですら、ちんまい掌に石の礫を握っているのだ。生き損ないの木乃伊の群れは、濃い血を眼にたっぷりと溜め、静かに憤っていた。
「……」
――何と、声を掛けるべきだろう。「可哀想に」と寄り添うのが良いか。「何とかなる」と励ますのが良いか。恐らく正解はない。どんな言葉をくれてやったとて、彼らの腹が満たされることはないのだから。
もしも自分が実りの神だったなら、千年掛けても食い切れないだけの小豆を与えてやるのに。富の神なら巨額の宝を。福の神なら恒久の幸せを。せめて道祖神ででもあったなら、これ以上の不運が村を訪れないよう、身を張って守ってやれたのに。
――ああ、残念だったな、貴様ら。貧乏神や疫病神と遭っていた方が、まだ幾らか益があったろうよ。
自分はたった今、神を辞めたのだ。
片手を懐に突っ込み、身体を斜めに構え、口元をニヤリと歪めてみせる。情けないほど勇猛に、誠実なまでに横着に告げる。最も正解から遠い答えを、自分は――オイラは口にする。
「小豆汁は美味かったぞ」
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