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残光1-⑸
「以上で曲乗りはおしまいです。皆さん、盛大な拍手を!」
宗吉一家とのやり取りが終わると、曲芸乗りの男性が帽子を振りながら幕の後ろに去ってゆくのが見えた。
「飛田君、私たちはあっちの席で楽しむことにするよ。暇があったらまた「編集室」の方にも来てくれたまえ」
善吉がそう言うと、宗吉も「それじゃ、また」と頭を下げた。
「ふう、やはり匣館は狭いな。ちょっと珍しい物を見に来ただけでいろんな人たちと会う」
流介がそう漏らしつつ次の出し物を待っていると、団長がやや険しい表情で広場の中心に進み出るのが見えた。
「みなさん、本来であれば次の出し物は『熊の三輪車乗り』なのですが、調教を受け持っている人物が来ておらず披露できません。そこでしばしお昼休みと言うことにしたいのですが、ご容赦願えますでしょうか」
団長の訴えに、観客たちから承諾を意味する拍手が起こった。
「では、半刻ほど後に再開いたします。準備の間、席でおくつろぎください」
団長が一礼し広場ががらんとすると、あちこちで弁当を食べ始める人の姿が見え始めた。
「さあて、僕らもいったん外に出て何か食べて来るとするか。ここからだと『梁泉』が近いかな」
流介がそう言って弥右の方を見ようとした、その時だった。
「やあ、これは『天正屋」で会った記者さんじゃないか。ショーを見ながらソーセージはどうだい?」
突然、声をかけてきたのは見覚えのある体格のいい外国人だった。
「あなたは……」
「名栗千都さんの博打……いや商売仲間のカールさ。覚えているかな」
「ああ、屋台を一緒にされていた……覚えてます。今日はソーセージを売りに来たのですか?」
「ああそうだ。紙で包む代わりにパンで挟んだこの『ダックスフント・サンド』をぜひ、サーカスをご覧の皆さんに食べてもらおうと思ってね」
「サーカス……こうした興業を海の向こうではサーカスと言うのですね」
「そういうことだ。そしてこうした夢中で楽しめる見世物に、俺の『ダックスフント・サンド』はうってつけの西洋弁当ってわけだ」
「なるほど。じゃあ一つ……瑠々田君の分と二つ頂こうかな」
「いいんですか?やったあ。ごちそうになります、先輩」
流介がソーセージをパンに挟んだ『ダックスフント・サンド』を二つ買うと、カールが「そいつはこれをかけて食うんだ」と、赤いどろりとした物をソーセージにかけた。
「なんです、これ?」
「ケチャップだよ。トマトから作る甘いソースだ」
「ははあ、国彦さんが『ハンブルグ・サンド』にかけていたのと同じような物だな」
流介が暖かいソーセージから立ち上るいい匂いにうっとりしていると、弥右が「飛田さん、ちょっとこいつを齧りながら曲芸団の楽屋裏を覗きに行ってみませんか」と言った。
「おいおい瑠々田君、正式に赦しを得てないのに勝手にそんなことをしたら摘み出されるぞ」
「そうでしょうか。新聞の取材だと言ったら案外、協力してくれるのではないでしょうか」
弥右は自分に都合のよい説明を口にすると、『ダックスフント・サンド』を手に慌ただしく席を立った。
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