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空はまだ明るくない。この茶番に付き合うのも一興かと、意味ありげに両手を組み合わせて唸る男を見ていると、当の男は「この先にある谷間の集落に行くんでございましょう」などと、したり顔で宣言した。
何も知らなければ、よくぞ当てたものだと感心するところだが、この木賃宿がある道からして、私の診療所がある町と男の言う谷間の集落を結ぶ用しかないのだ。そうなれば、あとは二分の一の確率に賭けるだけである。
まったく調子の良い事だと、別の意味で感心しているところへ、宿の主が囲炉裏端に座り「お前さん方、あっちへ行くなら日を改めた方がいい。この先の橋が壊れて新しい道を行くことができなくなっている。そうなると古い峠道を行くしかないんだが、今日のこの空模様では吹雪になるかもしれん」と神妙な顔つきで言う。
さて、どうしたものかと一瞬の思案をしたところで、向こうの集落で患者が待っているのだからと私の予定が変わることもなく、そして行商人風の男は「向こうにうまい儲け話があるんで、どうしても行かなければ、あっしの気持ちが収まらないんでさ」などと、諦めることを良しとしなかった。
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