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ドラマ撮影が機材トラブルで押してしまい、収録が終了したのは予定より一時間近く遅くなった。貴島は楽屋でメイクを落として着替えを済ませ、いつも通りに一服しようと煙草に手を伸ばす。しかし、銜えた煙草に火をつけてすぐに、ある異変を感じ取った。
「佐木」
ソファに座り、スケジュール帳を開いている佐木の表情が、心無しか冴えない気がした。案の定呼ばれた本人は貴島の声にさえ気付かない。貴島は舌打ちして佐木に近付くと、その頭をくしゃくしゃと掻き混ぜて隣に座った。佐木は突然のことに驚いたような顔で貴島を見遣る。
「どうかしたか?」
「え?」
「え、じゃねえよ。呼んでも気付かねえし」
「……すみません、少し考え事をしていました」
いつものように佐木が控え目に笑う。だけど貴島は、それがいつも通りには見えなかった。
「お前、顔赤くねえ?」
手を伸ばして指先で佐木の額に触れる。脳裏に一瞬、今朝のやり取りがよぎったが、佐木は貴島の手を避けることなくじっとしていた。しかし、貴島に触れられた瞬間、気まずそうな顔で視線を逸らす。その態度の理由を、貴島は指に伝わる温度で悟った。
「熱あんだろ、これ」
責めるような視線を送ると、佐木はしゅんとした。
「体調悪ィならちゃんと言え」
「すみません。でも……平気ですよ」
佐木の返答に、貴島は至近距離の瞳を軽く睨んで額を弾いた。弱音や愚痴を零さないところは佐木の美点の一つだけど、それを通り越して我慢しすぎるところがある。そんな部分を知る度に惹きつけられているのも確かだが、壁のようなものを感じるのも事実だった。
「とっとと帰って寝ろ。今無理してのちのちぶっ倒れられても迷惑だ」
複雑な心境を吐露する代わりに、八つ当たりのようにぶっきらぼうな言葉が口から衝いて出る。
「……ごめんなさい」
申し訳なさそうな佐木の呟きが耳に届く。貴島は立ち上がるとまだ長い煙草の先端を、灰皿の上で潰した。
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