ウタカタ 第4話

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 直に撮影が始まる。頭を切り替えないといけない。セリフは全て頭に入っている。  貴島は役にのめり込むタイプの役者ではなく、演じている最中も頭のどこかで常に冷静な自分の意識がある。けれど演技の最中、不意に自分の意思ではない感情が飛び出すことがある。場に飲まれたのではなく、自分の中に役柄が息衝いているような内側からの衝動。その感覚が快感だった。  最初は興味もなかった役者という仕事の魅力を貴島に教えたのは、ベテラン俳優で貴島の飲み友達でもある和久井だ。  当時、成り行きで芸能事務所に所属し、言われるがままの仕事をこなすしかできない自分が、嫌いでしょうがなかった。自分を必死に売り出そうと事務所が躍起になる程、貴島の熱はどんどん冷めていった。  野性的な風貌なのにどこか品がある。存在感がある。華がある。事務所の人間は、自分のどこにそんな価値を見出しているのか理解できなかった。生意気盛りで礼儀知らずだったのに、『現場ではきちんと挨拶をする』という至極当たり前のことしか指導されなかった。今思えば、『言っても無駄だろうからせめてこれだけは守ってくれ』という事務所の願いだったのかもしれない。けれどその時の貴島にはそんなこともわからなかった。顔とタッパだけで泳いでいけるのだとしたら、芸能界というのは随分楽な世界だなと白けた気分でいた。
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