ウタカタ 第5話

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 今どうしてそんな話を持ち出すのか、貴島には不可解だったが黙って聞いていた。 「そのことを自覚した時、もう二度と特別な相手を作ることは自分にはできないと思いました。それはとても悲しいことだけど、それでいいと……そうなって良かったと思ったんです」  佐木の言葉が意味するものが見えてこず、貴島は怪訝な表情を浮かべる。しかし口を挟むことはせず、佐木の手を離さないままで、自分も床にしゃがみ込んだ。 「自分でも無意識のうちに、俺は大地さんに惹かれていました。そして奇跡みたいに貴方は俺を必要としてくれた」  目を細める佐木に、貴島は胸の奥を掻きむしられたような気分になる。 「毎日が夢のようで、現実じゃないみたいで……。最初はそれを噛み締めるのに必死でした。それは時折苦しくて、それでもやめたくなくて……。だから、幸せ過ぎて忘れていたんです」 「何を?」  問い掛けても、佐木はすぐには答えなかった。何度も躊躇う素振りを見せて、ようやく話し始める。 「俺にはもう身寄りがありません」  すぐ傍らにある体が、微かに震えているのが伝わる。 「俺の母は……私生児だったそうです。母子家庭で育って、母の母……俺の祖母は母が高校を卒業する頃に病気で亡くなったと聞いています。元々体が丈夫ではなくて、それは母も同じで……母は俺を出産してすぐに亡くなりました」  貴島は掴んでいた佐木の手首を離して、指先を絡めるように手を繋ぎ直した。
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