フシダラ 第1話

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「あ、佐木くんは中身知ってるっぽいね。読書好きなの?」 佐木はその問いに肯定とも否定ともとれるような曖昧な返事を返した。ちゃんとした思考で答えていたならどちらも「はい」だった。中身も知っているし、趣味と言えば読書と料理くらいだ。 「貴島くんにオファーしたいのはこの作品の主人公『美山正弘』」  一面が白のシンプルな表紙に記されたタイトルは【白亞の欠片】。貴島は手渡された本の裏にあるあらすじを黙読し、中身をパラパラと捲った。 佐木がそれを読んだのはまだ学生の頃だっただろうか。何年も前に読んだのに、今でも内容をはっきり覚えている。  舞台は一九五八年。終戦から十年以上が経過した、高度経済成長期真っ只中の日本。高等学校の教師である美山が、恋人を喪うところから物語は始まる。美山の心は虚ろだった。しかしそれは恋人を喪ったからではない。恋人を喪くしても、涙一つ流れない自分に絶望したからだ。  美山は物心ついた頃から大きく感情が振れない。人間らしい感情が欠落していた。そのことに気付いても、それを認めたくない一心で模範的な人間を演じ続けた。しかし過去の両親の死を経て、恋人の死に直面した時に、そんな自分に疲れてしまう。  美山の胸の奥深くに埋もれていた情熱の火種。それを掬ったのは恋人の弟である月島伊織だった。美山は伊織に共鳴し、同時に許されぬ激情を抱く。  九鬼が『NG』の可能性を懸念したのはこの部分だろう。【白亞の欠片】は、同性愛という禁忌によって、一人の男の心の深淵を描いた作品だった。生々しい描写も多々あった筈だ。
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