フシダラ 第3話

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 彼女の名は月島早苗といった。歳は二十三。切羽詰まった様子に事情を訊ねると、家を飛び出してきたのだと打ち明けた。  私は行く当てのない彼女を自宅に住まわすことにした。彼女が売りに出そうとしていた本は、家を出る時に本棚から厳選して持ち出したお気に入りの品だという。大切な本を手離さずに済んだことに、彼女はひどく安堵していた。私はそんな彼女の感情が理解できなかった。私にとって本は、気が狂いそうな程残された時間を少しでも紛らわす物でしかない。  彼女は私に金銭を出させたことに恐縮していたが、それすらも私にとっては価値のない物であった。これまで、毎月の給金は生活に必要な分を差し引き、すべて母に仕送りをしていた。その母はもうこの世にない。 「貴方は私の恩人です」  見ず知らずの自分に躊躇いなく救いの手を差し伸べた私に、彼女はとても感謝をした。そんな相手と一つ屋根の下で暮らせば、深い仲になるのに時間は必要なく、夫婦のような生活が始まった。彼女は真摯に私に愛を向け、私は彼女の言葉に応えた。  職場に行き、ものを教え、夕餉をこしらえて待つ彼女のもとへ帰宅をする。  こうして私はまた、形だけでも真っ当な人間でいる為のよすがを、仮初めの愛情で手に入れたのだ。 ◇ ◇  ◇
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