208人が本棚に入れています
本棚に追加
/332ページ
「……っ、……ふ」
不意に涙が溢れる。漏れた嗚咽を噛み殺す為に、佐木は自分の手首に歯を立てた。息を殺して波が収まるのを待つ。だけど昂った感情はなかなか落ち着いてくれなかった。
その時、唐突に浴室のドアをノックする音が聞こえて、文字通り飛び上がった。
「おい、長いけど寝てんのか?」
扉越しの貴島の声に慌てて返事をしようとする。しかし嗚咽の所為で喉がつかえて、咄嗟に声が出せなかった。
「開けんぞ」
「……っ」
貴島は佐木の状態に目を剥く。
「何やってんだよ」
ひどく怒ったような、遣る瀬ないような表情で、佐木の腕を掴んだ。触れた肌の冷たさに一瞬動きを止めて、貴島は佐木の体を引っ張り上げた。脱衣場で佐木の髪を拭い、大判のバスタオルを冷たい肩に掛ける。
「大地、さん……」
「お前、こんなん見せてもまだ今は構うなって言うのか? ふざけんなよ」
苛立った声と、怒った顔と、悲しそうな瞳。心配そうに繰り返し肩をさする手。貴島の愛情を感じて、佐木は余計に泣きたくなった。「早く服着ろ」と言い置いて、貴島は脱衣所から出て行った。佐木が寝間着姿でリビンクに入ると、貴島が温かいコーヒーを入れてくれた。自分を労ってくれる貴島の気持ちが伝わってきて、胸の中で甘さと苦さが入り混じった。
最初のコメントを投稿しよう!