209人が本棚に入れています
本棚に追加
佐木は涙を流す貴島を初めて見た。いや、そこには美山正弘という、実際にはいる筈のない男がいた。喪失感と、甦る伊織への愛情の甘さに、音もなくただ涙を流し続ける美山。その光景に、佐木も、その場にいたスタッフも皆、心を奪われた。九鬼の「カット」の声で我に返る。
「はい、OK。オールアップです」
九鬼の言葉に、大きな拍手が沸いた。何人かの女性スタッフは先程の貴島の演技にもらい泣きしたのか、涙を拭いながら手を叩いていた。
「最後だから、ねちねちいびってリテイクかましてやろうかと思ってたのに」
メイクスタッフに渡されたティッシュで顔を拭っていた貴島へ九鬼が近づく。拗ねたような表情でそう言ったあと、九鬼は貴島に手を差し出した。
「良かったよ、お疲れさん」
それは貴島に対しての初めての褒め言葉だった。貴島は一瞬驚いたような顔をして、差し出されたその手を掴んだ。その横で待機していた七原が、大きな花束を持って貴島に近付く。貴島はそれを受け取り、今度は自分が七原へと手を差し出した。主役と準主役のツーショットに、カメラのフラッシュがたかれた。それを背景に、九鬼がゆっくりと佐木へ向かって歩いてくる。
最初のコメントを投稿しよう!