アザナイ 第1話

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「礼子さん」  貴島が呼び掛けると、礼子は軽く目を見開いた。 「迷惑を掛けて悪い」  貴島がその場で頭を下げると、礼子の顔に驚きが広がる。 「何を言ってるの。あなたに非は欠片もないわ。堂々としていなさい」  そう言ってふっと表情を和らげた。その顔には貴島の成長を喜ぶような色が含まれていた。 「それにいざという時子供を守るのは親として当然のことよ。大地が気にする必要はないの」  礼子の言葉には、諏訪の行動に対する非難と、貴島を断固として守り抜くという覚悟が滲んでいた。  礼子の存在を、自分の背中を支えようとする人々の存在を、素直にありがたいと思える。以前の自分ではまず考えられなかったことだと貴島は思う。  自分が平均寿命をまっとうできるとして、二十五という年齢は、まだ人生の半分にも達しない。それでも間違いなく貴島にとってこの数年は、人生で一番めまぐるしい変化があった期間だと断言できる。貴島はその最たる象徴である男を見遣った。会社からの帰宅途中、車を運転する横顔はどことなく暗かった。
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