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二人で貴島が住まうマンションの部屋に帰りつく。リビングのソファに座ると佐木に声を掛けた。
「悪い、黙ってて」
スーツの上着を脱ぎ、食事の支度に取り掛かろうとしていた佐木は、呼び掛けに振り向いてじっと貴島を見つめた。やがて小さく首を振る。
出会ってから、そして今のような恋人関係になってからも、貴島は一度として自分の血縁者の話をしたことがない。諏訪のことも、海外に移住した母親だった人間のことも。
佐木の抱えているものを知りたいと自分が思ったように、もしかすると佐木も貴島に対してそう感じていたのかもしれない。そう思っていながらも話さなかった。いつかは直面する出来事だと予測できていたのに。きっと自分は知られたくも認めたくもなかったのだろうと貴島は思う。切りたくても切れない諏訪という男の存在を。
「弱くなったかな」
「え?」
食事の仕度を中断し、近付いてきた佐木は貴島の隣に座った。
「五年前にあの男が来た時はなんとも思わなかった。てめぇに払う金なんか一円もねえよ馬鹿が、って平然としていられた」
記憶もろくにない、しかし言い逃れできない繋がりがある男。激しい怒りや嫌悪感が湧いたのはよく覚えている。けれど今みたいな気分は覚えがない。
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