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貴島は【夜桜】の撮影に臨む前、初めての時代劇に備えて時間が許す限り殺陣の特訓に明け暮れた。その成果は実際のシーンでも大いに役立ったが、意外な場所に別の落とし穴が用意されていた。貴島は五分以上の正座ができなかったのだ。しかし時代劇という特性からそれは避けられず、トータルで数時間も正座をさせられた。
「それは何よりだ。だったら次の作品には正座のシーンをたっぷり追加しておこうか」
「すみません、勘弁してください」
貴島は苦笑を浮かべ、すぐさま足を崩した。浅田はそれを見て朗らかに笑い声を上げる。
「本日はお招きありがとうございます。こちら、お口に合えばよいのですが」
佐木が折を見て持参していた紙包みを差し出す。すると浅田は童子のように目を輝かせた。
「好物を覚えていてくれたか。君は相変わらず気が利くな」
「撮影中、よく召し上がられていたので」
浅田は機嫌よさげに包みを持ち上げた。
「いいか、貴島くん。君がこの先長く太く生き残っていく為には、権力や金を持っている連中ではなく、こういう人間こそ大事にしてやることだ。歴代の名俳優には総じていい付き人がいるものだよ」
「はい、肝に銘じておきます」
浅田の言葉にしっかり頷き、ちらりと隣の佐木を見遣る。恐縮したような佐木は、視線に気付くと照れたように笑った。
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