第5章 居候、説教をかます

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そう割り切ったら心を見通せない相手がそこにいる事実なんて案外何でもない。そもそも他の人のことだって、わたしの意思で知りたくて見ているわけじゃないし。 そんなわけで、聞き慣れた聞いてもほとんどしょうがない家族たちの内心の声のさざめきと部屋の一隅に陣取ってる人型の暗黒空間に囲まれて。煌々と燃え盛る暖炉の暖かさでうとうとしながら、これはこれでいいな。案外こういうのも幸せかも、と目の前の漫画の内容には無関係なことをのほほんと取り止めもなく考えていた。 兄がふと目線を上げてアスハの窮屈な体勢に気づいた。自分の後ろに転がってるクッションを手にして彼に声をかける。 「アスハくん。これ使ったら?そんな姿勢じゃあとで足腰痛くなるだろ。床冷たいし」 もっと楽に座りなよ、と言われてアスハは恐縮した表情を浮かべてそれを受け取った。 「あ。はぁ…。ありがとう、ございます」 「丁寧だなぁ、アスハは」 軽くどうもぉー、とかすんません。くらいでいいんだよ。と、わたしが持って帰った植物図鑑をぱらぱらめくりながら横になって肘をついた誠也がものぐさにそっちを見ずに突っ込む。 何で植物図鑑(わたしが借りて来たのは、食べられる植物と食べられないものを見分けられるよう知識をつけといた方がいいな。と改めて思ったから)?と一瞬疑問に感じたが、当人の頭の中は近所の真那ちゃんのことでいっぱいで次会えたらどんな風に話しかけよう。とあれこれ想像してるばっかり。開いてる図鑑のページに載ってる絵や文字情報なんてそもそも脳内にかけらも反映されていなかった。 それでも兄とアスハのやり取りには突っ込んでいったんだから目の前で起きてることには一応注意を払ってはいるんだな。と感心してると、父の頭の中でふむふむ、と何やら納得する気配が。 『まるでみんな兄弟みたいだな。このままアスハくんがましろの婿になって、この近所に居着いてくれれば一番なんだけど。よく働くし、大人しくて穏やかな性格だし』 それはどうだろう…。 心底大人しく温厚な性格の子が、生まれ育った集落の住民全員を向こうに回して十五年間ずっと敵意丸出しで歯向かい続ける、なんてことある?相当激しいタイプでもなきゃとても反撥心なんか続かないんだよなぁと口には出さずに父の呑気な呟きに頭の中で茶々を入れた。 と、まるでそれが聴こえたかのように。父が思いの外素直にあっさりとその願いを取り下げたのが聴こえた。 『まあそうは言っても。ましろのあの様子じゃなぁ…。アスハくんの方もそこまでの気持ちはないみたいだし。二人はだいぶ打ち解けたみたいだけど、残念ながら恋仲というより気遣い無用な身内みたいになっちゃったな。いきなり同居は距離が近過ぎたのか…』 どうだろう。それはあるかも。 案外雰囲気読んでるな、と父に対して意外な思いが湧いてきた。あの二人すっかり仲良くなったみたいだな。このまま何とか冬が終わってもアスハくんをここに引き留め続けて、いつか将来どさくさ紛れにましろと結婚させよう!とか企まれるよりはまあ、ありがたいけど。 彼の視界に映る自分とアスハの外から見た姿がなんとも面映い。 知らんふりしてるわたしと何も考えてない(、ように見える)アスハを無言で見較べながら、父の脳内での思案はさらに続く。 『友達とかきょうだいみたいな関係の夫婦って、それはそれで悪くないんだけどね。平穏と安定って意味では…。だけどましろにはそれじゃ気の毒か。まだ恋に恋するお年頃だし…』 いえそれほどでも。てか、生まれたときから人物や性格を知ってるくせに、どうしてわたしが特に恋愛に憧れを抱いてるとか思い込むのか。ちょっとその理由がわからない。 父の思索はまだまだ続く。 『一応、アスハくんにその気が多少なりともあるかどうかいっぺん確かめてみて。やっぱり春になったら旅立つ気持ちが変わらないようなら、こっちも頭切り替えていよいよましろの婿さん選びを本格的に始めないといけないなぁ。この子も来年にはもう十六になっちゃうし…』 いや、だからどうして。まず十六歳とかでそこまで早々と結婚相手を決めなきゃならないと思い込んでるのか、急ぐ理由を教えて欲しい。 と心の中で突っ込みかけたけど、この特性のせいでわざわざ口に出して尋ねなくても即座にその答えが伝わってくるのは。便利って言っていいのか、それとも話が早過ぎて身も蓋もないのか。 とにかく父の想定では、うっかり出遅れたら交流のある近隣の集落にいる条件のいい婿候補はあっという間に売れてしまう。二十歳近くなっていよいよ腰を上げた頃には同年代の気立てのいい男の子は既にみんな相手が決まっていて、のんびり屋のうちの娘には歳のいった残り物か奥さんと死別した子持ちの独身者くらいしか残ってないんじゃ…って懸念があり、そのせいで気ばかり焦ってる。という心情がひしひしと迫ってきた。 参ったなぁ。こういうのが一番弱る。 わたしは開いたコミックの冊子の上に顔を伏せ、周りにわからないようそっと小さくため息をついた。
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