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「ギャンブルで遊ぶ金が欲しいて、うら、母さんの首、絞めたんさ」
その言葉が、スチール机を挟んで向い合う男から漏れた時、小杉亮一警部は小さく身震いをした。
そっと首筋を撫でていく微かな冷気を感じたのだ。
外から風でも吹き込んだか?
そう思い、取調室の西向きの壁へ目をやると、小窓は閉め切られたまま、濃い灰色に覆われている。粘着質の雪がガラスへこびりつき、普段は目立つ大願寺陸橋辺りの景色も見えない。
ほぼ、視界はゼロだ。代りに吹雪の音だけ唸っている。
北陸地方の西端に位置する福井県は、四日前の2月1日から強い大陸性高気圧と東日本の低気圧に挟まれ、暖冬の予想を覆す豪雪に見舞われていた。
ここ福井警察署・二階にある県警本部の取調室も午前九時を少し過ぎた頃合いにしては薄暗い。
小杉はデスクライトの照度を上げ、容疑者・飛江田輝夫の前に座り直した。
「おい、まだ始めたばかりだってのに、今朝は随分と素直だな」
親しげな口調を装ってみる。
すると落ち窪んだ眼窩の奥で輝夫の目が底光りした。
逮捕から間もない被疑者の例に漏れず、ろくすっぽ眠れていないのだろう。疲労と自虐、取調官への媚びが入り混じる実に貧相な中年男の顔だ。
こいつと向い合い、今日で二日目。
小杉は福井県警の捜査一課で11年のキャリアを積む48才の刑事である。
取調官の経験も豊富なやり手だが、どうもいつもと勝手が違う。今回の相手は、やたら神経を逆撫でしてくる。
「おい、飛江田! どういう風の吹き回しだよ、お前」
「……はぁ?」
「ずっと黙秘を続けてたじゃないか、犯行の動機についちゃ」
「あ~、あれから一晩考えて、うら、反省したんさ」
「殊勝な口をききやがる」
「それにうらの動機、刑事さん、えれぇ聞きたがってたろ?」
今時珍しい福井弁丸出しの輝夫には、丸っこい体格と童顔のせいか、53才という年の割に幼稚な雰囲気がある。
反抗する素振りは無いものの、欲の皮が突っ張った筋金入りの悪党より、この手のタイプは厄介だ。思考の筋が掴めず、往々にして取り調べが空転する。
早くけりをつけにゃならんのに……
俺ら警察だけじゃない。お前のゲロを皆が待ってんだぜ。
犯罪者自身が想像するより、ずっと多くの野次馬が剥き出しの好奇心で、目ん玉ギラギラさせてなぁ。
小杉は、目を据えたまま瞬きもしない容疑者から顔を背け、供述調書にさり気なく目を通した。
県警による詳細な記者発表はまだ行われていないが、ここに記載済の内容なら、既にマスコミは掴んでいる。
それもその筈。何せ小杉自身が捜査情報を売り込み、いわゆる「警察関係者」の一人としてリークしたのだから。
初日の取調べを終え、福井署を出た昨夜の事。
馴染みのバーで水割りを舐める小杉の隣へ座ったのは、水谷佑美という三十代半ばのフリーライターだった。
「へぇ……老々介護が殺しに発展、ねぇ」
「どうだい? 現代日本の縮図って感じ、しないか?」
事件の概要を切り出すと、佑美は小首を傾げ、うなじから甘い香水の香りがした。
地元紙やゴシップ系の週刊誌に連載を持つ売れっ子で、程良く露出した肌が大人の色気を醸し出す。
福井市内で起きた強盗殺人を彼女が取材した際に知り合い、以来、話題になりそうな事件ネタを小杉は何度か提供した。
金銭的な報酬は僅かで、むしろ彼女に対する下心の方が強かったのだが、
「犯人の身元、もう少し詳しく」
問返す佑美の声音は、あくまでビジネスライクだ。
「飛江田輝夫、福井県大野市無明町二丁目在住、無職」
「親頼みのプーなら独身よね」
「ああ、県立高校を卒業後、新潟の会社へ就職したが、職場に馴染めなかった。半月で退職、福井へ戻ってる」
「で、自然とニートの境遇へ?」
「時折り近所へパチンコを打ちに行く以外、引きこもり同然だったらしい」
漂う佑美の匂いを水割りごと喉の奥へ流し込み、小杉は輝夫の実家についても詳細に語った。
潰れた店のシャッターが目立つ商店街の一隅で、住居兼用の店を持ち、長く惣菜屋を営んでいたらしい。
常に経営は火の車。苦労が祟ったか、輝夫の父・忠也は39才で病死している。
その後、母・松代が女手一つで一人息子を育て上げたものの、七十過ぎてアルツハイマーの症状が出た。
惣菜屋は閉じざるを得ない。当然、一人息子の輝夫も引きこもってはいられない。
当時、大野市内にある総合病院で治療へ付き添う彼の姿、徘徊する母を探す様子が、繰返し近隣住民の目に留まっている。
「ふぅん……不肖の息子が母親の介護に目覚めた訳か」
「だが大雪警報が出た2月2日の午後、二人の暮しは唐突に終わった。いつもの如く松代が家を抜け出してな」
「雪が積もる最中でしょ? 一歩間違えば凍死するパターンじゃない」
「その方が、マシだったかもしれん」
「と、言うと?」
「散々探し回った挙句、町外れでようやく見つけた息子が、母をその場で絞め殺しちまったんだ」
しばしの沈黙……
二人一緒に溜息をついたのは、他人事で良かった、と思う気持ちを幾分含んでいたかもしれない。
「可哀想とは思うけど……あたし好みの事件じゃない。読者を惹く意外性が無いもの」
ポツリと発した言葉を受け、小杉も少し間を取って、ふっと意味ありげに囁く。
「意外性と言うか……少々意味不明な行動を飛江田は取ってる」
「どんな?」
「母親の遺体をな、人気の無い袋小路へ置き去りにしたまま」
「……逃げたの?」
「いや、まっすぐ馴染のパチンコ店へ向い、捕まるまで、馴染みの台でひたすら打ち続けていたんだよ」
「はぁ!?」
その奇妙な展開に、流石の佑美も目を丸くした。
画して、引続き事件の情報を流す口約束を交わしたのだが……
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