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取調べ初日の時点で明らかになっている事件後の成り行きはこうだ。
一旦、大野署で身柄を留置された飛江田輝夫は、正式な逮捕状が出た後、福井県警本部へ移送された。
小杉が輝夫の担当に決まり、初めて対面した時の印象は鮮烈と言うしかない。
認知症の母を手に掛けたと言う凶悪な犯人像と、余りにも印象が異なる童顔に当惑させられたのである。
取調室へ入るなり、キョロキョロと虚ろな瞳で輝夫は周囲を見回す。
記録役を務める警官に促されるまま、スチール机の反対側へ腰を下ろすと、弾ける様にこう言った。
「なぁ、人一人殺しても、死刑にはなんねぇわなぁ?」
落ち着きなく動く両の手首には、包帯が何重にも巻かれている。
大野署からの報告によると、母を絞殺した際、引っ掻かれて傷ついたらしい。
手当せずパチンコしていた為、逮捕された時には膿んでいて、今も包帯に黄色っぽい筋が幾つも見える。
「え~、うら、のくてぇけぇわかんねけど、親ぁ殺すと、罪とか重くなるんざぁね? 死刑になりますか?」
「いや、尊属殺はとうに廃止だが……お前、もしかして死刑になりたいのか?」
小杉が訊ねると、輝夫は眉を顰め、妙に甲高い声を出した。
「いやなまぁ、刑事さん。死刑なんて嫌に決まってるわぁ!」
にんまりと笑う。
四角い童顔の下方に大きな口が開き、まるで瓦煎餅にできたひび割れの様だ。追従と媚びの奥に潜んでいる筈の、その思惑は伺えない。
何て、気味の悪い笑顔だろう。
小杉の質問には何でも他人事の様に答えるから、尋問自体は楽だった。多動性障害の傾向が有るらしいが、意外と機転は効くタイプなのかもしれない。
重ねる供述は現場検証の内容と一致。
調書の作成はスムーズに進むと思われたが、肝心な所でもたついた。
母親殺害の動機について訊いた途端、輝夫は深く俯き、指先で頭皮を激しく掻きむしり始めたのだ。
そして、机が音を立てる程、激しく貧乏揺すりを始める。
「飛江田、呆けた母親が言う事を聞かないから、腹が立って殺したのか?」
「そんな事ぁ無ぇ」
「前から親子喧嘩してた、とか?」
「うら達、仲良しだわね」
「じゃ、何故?」
「ん~、何でかなぁ」
首を傾げて、輝夫はまたニンマリと意味不明の笑いを浮かべた。
手前、舐めてんのか!?
小杉は内心で毒づき、
「ちゃんと真面目に答えてくれ、飛江田。動機の解明ってのは、取り調べの中でも特に重要な要素なんだぞ」
辛うじて口調だけ冷静を装う。
「……なして?」
「当たり前だろうが! 何故、お前が罪を犯したか、それをはっきりさせる事で、似た犯罪を未然に防げる」
「うらと似た事、誰かすっかね?」
「万一の場合、前例があれば対処法が判る。それで、皆が安心するんだよ」
「……安心?」
「得体の知れない謎、理解できないモヤモヤは、誰だって早く解消したいよな?」
「……だども、うら」
「真実か否か、も然る事ながら、聞いた側の納得が重要なんだよ。納得しさえすれば、嫌な事件を忘却の彼方へ押しやり、先へ進む事ができる」
「……うらの話、納得できねか?」
「理に叶う言葉で他人に説明できない事は、罪状を裁く場において真実とみなされず、弁明にもならない。それが世の摂理、法の筋道ってもんだ」
小杉は淡々と言い放ち、輝夫はう~んと唸って、貧乏揺すりを再開した。頭皮を、腕の包帯を掻きむしり続け、後はひたすらだんまり。
苛立ちの余り、矢継ぎ早に放つ小杉の詰問に反応する事など一切無い。
午後6時前には署の通例に倣い、取り調べを中断するより他に無かった。
浮かない気分で署のビルを出る。
灰色から漆黒へ転じた雪の夜空を見上げ、ふと小杉が水谷佑美へ連絡を取る気になったのは……
単なる気紛れだ。
すぐ家には帰りたくなかった。
三つ年上でいつも仏頂面の女房と、最近は親の顔を見ようとしない一人娘と。
刑事と言う稼業の忙しさを言い訳に、家族の面倒事へ背を向けていた頃のツケが回って来たらしい。
それに鯖江で暮らす八十過ぎの母が体調を崩し、引き取るかどうかで揉めていた。
もし、俺ならどうする?
飛江田輝夫と似た立場になった時、俺はまともな行動が取れるのか?
やりきれない。よりにもよって、こんな時に、こんな事件を扱うとはなぁ。
急に老け込んだ気分の反動だろうか?
つい若い女の匂いが嗅ぎたくなり、スマホで佑美の番号を押した。
胸に残る取調べの後味を、三文記事のネタに変え、笑い飛ばしたい気持ちもあったのだと思う。
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