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雪の降った日の街が好きだ。
空は厚い雲に覆われ、街並みは真っ白な雪に蓋をされているよう。空気は掃き清められたようにキリッとしていて、靴音も、声も、いつもよりくぐもって聞こえる。
「美苑さん!ごめんね。寒い中待たせしてしまって」
穏やかな声が聞こえて振り返る。
「ううん。雪は好きなので、平気です」
私の返答にホッとした笑顔を浮かべたのは、ひとつ上の高島瑞紀先輩だ。私と先輩は、少し前に恋人同士になった。
手を繋いで歩き出す。
こうして一緒の時間を過ごせるようになってまだ日は浅いのに、その日々はもう直ぐ終わろうとしている。初めからわかっていたけれど、やっぱり先輩が高校を卒業してしまうのは寂しい。
「美苑さんは、雪のどんなところが好きなの?」
高島先輩の声は落ち着いていて心地いい。けれど、その反対に私に質問をするとき、瞳は宝探しをする子供のようにキラキラと輝いている。ネガティブな気持ちを振り切って、漠然とした好き、を表現する言葉を探す。
「街中がしん、とするところかなあ。本当にそうなってるかはわからないですけど、雪に覆われた街っていつもと違った静かな雰囲気で、まるで違う世界に入り込んだみたいで」
「わかる気がするなあ。なんだか、スノードームの中にすっぽり入った感じというか」
「それ、すごくいいです。ファンタジーのお話みたい」
視線が合わさり、先輩は優しく目を細めた。
「いまこの時間も、スノードームの中にしまっておけたらいいのにね」
ぎゅ、と握られた手が温かい。
「正直なところ、卒業するのがこんなに寂しく感じるとは思ってなかった。まいったなあ」
先輩の切実な声色に、胸を打たれた。仕方のないことだと、言ってもどうにもならないことだと思っていたから。足が止まって、先に進もうとした先輩に腕を引かれる形になった。
「寂しい、って言ってもいいんですか。どうしようもないことなのに」
息が苦しくて、声が震えた。
先輩がハッと息を飲んだのが分かった。繋いでいない方の手がゆっくりと頭を撫でる。
「もちろん、言っていいんだよ。どうしようもないことだとしても、一緒に寂しさと向き合うことで少しずつ前向きになれるんだと思う」
必死に作り上げてきた堤防が決壊したように、涙が溢れた。強くならなくては、大人にならなくてはと積み上げてきたもの。そっと涙を拭いてくれる優しい手。
「美苑さんが、同じ気持ちでいてくれることが嬉しい。僕は、幸せ者だなあ」
ふふ、と微笑んだ瞳を見てまた涙が溢れてしまった。先輩の瞳には魔法のような力があると、高校生にもなって本気でそんな風に思ってしまうことが度々あった。
放課後の放送が終わって後片付けをしていると、扉をノックする音が聞こえた。
一緒に当番をしていた子は塾の予定があると言って少し前に帰ったところだ。
「どうぞ」
扉からひょい、と首を覗かせたのは高島先輩だった。
「先輩!学校に残ってたんですね」
駆け寄って、扉を開けて招き入れる。
「先生に用があったから、折角なら美園さんと帰りたいなあって」
3年生は受験期間のためほぼ自由登校のようになっていて、放課後の委員会にも出ているとなかなか先輩と予定が合わないのだった。想定外に会えたことが嬉しくてたまらない。
「それとね、今日はとっておきのものがあって」
先輩は予想外のことに喜んでいる私以上に興奮した様子である。一体何があったというのだろう。先輩はリュックから小ぶりな箱を取り出した。
「これ、開けてみて」
手に乗せられた箱は、大きさの割に重みがある。白地に水色で雪の結晶がプリントされた、可愛らしい包装紙を慎重に開いていく。
「わあ、これは!」
中にはスノードームが入っていた。小さなドームの中に雪景色の街並みがギュッと詰め込まれている。逆さにして、戻す。小さな雪が舞い上がってゆっくりと落ちていく。
「この前見た雪景色みたいでしょう?美苑さん好きって言ってたから、プレゼントです」
「ありがとうございます!本当にあの日の景色をスノードームの中に閉じ込めちゃったんですね。すごいなぁ。先輩は、やっぱり魔法使いなんだ」
「なになに、なんだかかわいいコメントが聞こえた気がするのだけど。もう一回聞きたいなあ」
先輩はいいものを見つけたというような、キラキラした瞳でこちらを覗き込んでいる。
「秘密です。何度も言葉にしたら、消えちゃいそうだから」
魔法は、ことばで紡がれた世界のほんの少しの隙間に宿るものだと思うから。
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